コロナ渦時代のツーリングスタイル☆今できるライダーの感染対策

究極のツーリング写真 touring-photography.com 読者の皆さま、2021年6月8日現在、依然として日本は東京、大阪をはじめとする各都市に緊急事態宣言、そして神奈川、埼玉、千葉などにまん延防止等重点措置の発令が出されております。

不要不急の外出の自粛、県境を越える移動をひかえるよう言われておりますが我々ライダーはどのようにバイクライフを過ごせば良いのでしょうか?このような事態を受けてバイクどころではない!バイクは乗らない!というのも立派な考えの一つだと思います。

しかし感染の原因がある程度解明された現在で、バイクツーリングのどのような場面において感染リスクがあるのか改めて考えてみましょう。本当にバイクに乗っては駄目なのでしょうか???

まず走っている時は1人ですしヘルメットを被っているので感染リスクはありません。休憩時はマスツーリングの場合はおしゃべりで盛り上がるので感染リスクはありそうです。食事は感染対策をしたお店で黙食すれば問題なさそうです。しかしお友達とおしゃべりで楽しく食事では駄目ですよね。ガソリンスタンドはセルフなら問題ないですね。あとはバイクを降りている時はマスク着用に小まめに手指消毒していれば大丈夫でしょうか。

つまりソロツーリングであれば感染リスクはほとんど無いと言えそうです。

田舎の方へ行って感染対策を万全とした食べ物屋さんがあるか心配…という場合、お勧めはお弁当です。お弁当を持参するか途中で購入し海岸や山の東屋などで食べるのです。

最近、少し日差しが強くなってきたので、できれば東屋を探したいですが無ければちょっとした緑地などにバイクを停めてお弁当タイムです。キャンプに使う折り畳み式のチェアーがあるだけでキャンプ気分でランチできますよ。

どこにバイクを停めてお弁当を食べるのか場所探しだけでも何だか楽しくなります。

いつもキャンプでは本家のヘリノックスチェアーを愛用していますが、今回は某大手ネット通販で売られている安い物を選びました。iClimb???7075高強度アルミフレームで耐荷重145㎏、生地も900Dオックスフォードと仕様はかなり立派です。

なぜコレを選んだかと言うとR1200GSのこの部分に常に積載しておきたいからです。万一、盗難とかあった場合を考えて諦めのつきやすい安物をチョイスでございます。色も目立たない黒がちょうどありましたので…これで2500円くらいでした。

ただ安物とはいえ座り心地はヘリノックスと大きな差はありません。あとは耐久性ですかね。壊れないと良いのですが。




ちょっと休憩するか、という時にさっと出して座れる幸せ。なかなか贅沢な気分でございます。

私の場合、お弁当を食べるときはカメラを収納しているヘプコ&ベッカーのトップケースを外してテーブルにします。写真は千葉県民のソウルフード、としまや弁当のチャーシュー弁当(通称チャー弁)でございます。

チャー弁は何度もテレビで紹介されたので最近はすっかり有名ですけど、やっぱり美味しいです。としまやの人気メニューはチャーシュー弁当、バーベキュー弁当、イカフライ弁当です。この3つが全て入っているとしまやミックス弁当というのもあります。




もう一品なにか欲しいという食いしん坊さんはアジフライ+タルタルソースがお勧め。150円でございます。としまや弁当、主に千葉県の南部にいくつかの店舗で展開するチェーン店なので南房総ツーリングの際は食べてみてください。私はよく牛久店、勝山店、久留里店に行きますが、実は自宅の近所にも一店舗あります。




海岸などでお弁当を食べるときはトビに注意…

話が感染対策から【としまや弁当】に脱線しましたが、とにかくイス一個持ってお弁当ツーリング(もちろんソロツーリングで)が我々ライダーがいま出来る感染対策をしたツーリングスタイルではないでしょうか。

お弁当屋さんに行くのが感染リスクでは?と言われれば元も子もありませんが、それはツーリングに出かけなくても普段の生活でも同じだと思います。

それと万一、交通事故を起こした場合、ひっ迫している医療機関に迷惑をかける…という立派なお考えもあるかと思います。誰も交通事故を起こすことを前提に出かける人はいないと思いますが、いつも以上に安全運転を心がけて慎重に行動すれば、それが感染対策でもあると考えます。例えば入ったことのない林道にチャレンジとかは避ける、前日に雨が降ったから山道はさけて海沿いを走るとか、普段よりちょっと慎重に行動するだけでも十分ではないかと思います。

もちろんライダーにも色々な人がいますので例えば半年に一度はかならず事故や転倒をする…という方は乗ること自体をお控えいただければよろしいのだと思います。

 コロナ時代の感染予防ツーリングスタイル まとめ

・当分はソロツーリングで楽しもう

・お昼は感染対策の万全なお店、またはお弁当にしよう

・お弁当はキャンプ用チェアーを1つ用意してお気に入りの場所で食べよう

・いつも以上に安全運転を心がけよう

ところで感染を広めないことも大切ですが同様にご自身が発症しないように注意することも大切ですよね。ウイルスに負けない強い体をつくるには免疫力です。免疫力は日光に当たること、ビタミンDなどの栄養素、抗酸化作用のある食品、腸内環境を整える発酵食品を食べると良いと聞きます。最近、テレビのニュースを見ているとワクチン接種に関わることばかりですよね。コレ、ちょっと違和感に感じるのですが…ワクチンも大切ですが免疫力を上げることも大切だと思います。ツーリングでお日様に当たって美味しいものを食べて免疫力を上げましょう!!

これは私の持論で根拠はなにもないのですが…バイク乗り、特に冬でもツーリングしちゃうようなタフなライダーは風邪もひかないですし強い体を持っていると感じます。以前に仕事が忙しくてバイクに何か月も乗れなかったとき、やたら風邪をひいたのを思い出しました。誤解を恐れず大胆なことを言ってしまえばコロナ渦だからこそバイクに乗るべきです。

それと…だいぶ暑くなってきましたがバイクに乗っている時に無理にマスクをすると熱中症や体調不良の原因になりかねません。ヘルメットを被って一人で運転しているのですからマスクを外しても何も問題ないですからね。

あっ!お弁当のゴミは必ず持ち帰りましょうね!

今回はこの辺で!!

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ライラックで駆け抜けた丘

自宅はマンションであるがバイクを洗車するためのスペースは一応ある。

水道代分の数百円を管理室で払えば1時間も洗車作業できるのだ。

本当は庭付き一戸建てにガレージというのが憧れだけど仕方ない。

我が家のマンションは管理人と警備員が常駐、日中は数人の清掃員もいて管理体制は手厚い。

大型バイクを2台も維持するのは費用だけでなく洗車やメンテナンスの手間も2倍だ。

それでも2台並べて洗車する時間はちっとも苦ではない。2台同時には乗れないけど洗車なら同時にできる、このひとときが幸せだ。

「こんにちは 今日は洗車日和ですね」

このマンションの管理人さんでもっともベテランの田中慧さんがやってきた。

他の管理人さんや警備員さんに「田中さん」が何人かいるため、下の名前で呼ばれている。最初に会った時に「慧眼のケイと書いてアキラですよ」と言われ、はて?慧眼のケイってどんな字だ?と自分の未熟さを痛感したものだ。

慧さんは10年以上はこのマンションの管理人をしているけど、もう嘱託なのだろうか?年齢は70後半はいってそうだ。元気だけど笑った顔のシワは深い。

ええ、今日はいい天気ですね。

前回の雨天走行から手入れをしていなかったR1200GS-ADVENTUREの下回りを入念に洗っていた。バイクの洗車は拭き掃除が一番良いのは知っているけど、こうしてたまに水洗いしないとハードなツーリングの汚れは落ちなくなってしまう。

おしゃべりが好きな慧さんに付き合ってしまうと、洗車が全くはかどらなくなるのを知っていたので軽くあしらってしまった。

「このオートバイは何ccですかね?」

ほらきた!この質問。高齢紳士がバイク乗りに投げかける定番の質問が排気量だ。バイク乗りなら誰でも一度は聞かれたことがあるだろう。

慧さんはかれこれ、ここ10年間の間でその質問を私に軽く100回はしただろう。会うたびに必ず「このオートバイは何ccですかね?」と聞いてくるのだ。もちろん都度1200ccですよ、と丁寧に対応しているのだが何度教えてもこの質問は終わることがない。

・・・これは1200ccですね。

この日も一応は質問にこたえた。私の苦笑いを察してか、冷たい言い方が過ぎたか、慧さんはそれ以上話さず「ごゆっくりどうぞ」と言い残して行ってしまった。

それから数か月後。

駐輪場でR1200GSのバッテリーの着脱やら、エンジンオイルの補充やらをしていたとき。慧さんがやってきた。

「あぁ、どうもこんにちは やっぱりBMWはいいですね」

いつものように何度か他愛のない会話をした後に

「このオートバイは何ccですかの?」

安定の質問がきた。

前回、洗車場で会った時は少し冷たい言い方をして悪かったな…という思いもあったので、この日は少し慧さんのおしゃべりに付き合うことにした。

「むかしは陸王やメグロを仲間達でノーヘルで乗り回してねぇー」

陸王とは1937年頃にハーレーの輸入を行っていた三共(製薬会社の)が自社ブランドとしてハーレーダビッドソンにライセンスを得て作った日本版のハーレーだ。しかし陸王は相当古い。慧さんの年代の人が若かりし頃から20年くらい前のバイクだ。そう多くは存在していないはずなのに、この年代の紳士は口をそろえて「昔は陸王をころがしていた」と言う。本当なのだろうか?

しかし慧さんの話はその先から急に信憑性をおびてきた。

「私は仲間が陸王だったけどアメリカンは好みではなかった。ドイツ軍のバイクが好きでBMWのようなシャフト機構が好きだったんだ。そこでライラックを父に土下座して金を借りて買ったんだ」

ライラックは1950年代に存在した丸正自動車が生産したオートバイだ。ドイツ軍のBMW R69Sを参考にしたシャフトドライブ機構と水平対向エンジンをもつ当時としては先進的なブランドである。本田宗一郎の弟子と言われる創業者、伊藤正の「藤」の字から藤の花を意味するライラックと名が付けられた名車である。

これはシャフトドライブ、水平対向エンジンのBMW R1200GSに乗っている私にとって聞き流せない情報であった。慧さんが本物のバイク乗りであったとは知らなかった…

「ライラックもこのBMWみたいに水平対向エンジンにシャフトドライブでねー。今は技術の進歩でこんなに凄くなったけど、その2点は昔と変わらないのが良いね。しかしこんなに大きかったかな?それとも私の体が小さくなったのか・・・?」

バイクが大きくなったのですよ、慧さん。

「むかしは舗装路なんて少なかったからさ、仲間と砂煙あげてそこらじゅうを走り回ったもんだ。アクセルを開けるとケツがはねて、エンジンは左右にゆれてね。でも速かったよ。警察になんて絶対捕まらなかった。むかし、バイク乗りは警察に追われたら逃げるのが当たり前だったね」

慧さんは少年のような笑顔で熱心に語ってくれた。

「ある日、仲間と一緒に北海道の最北端を目指して旅に出たんだ。仲間はドリームE型、陸王RQ750、私がライラックドラゴンTW。途中で何度も故障したり仲間が転倒して骨折したり、色々トラブルがあってね。でも楽しかったな。どこか場所は失念したけど、大きな丘に登って仲間たちと雄大な空の下を走り回った。結局、いろいろあって最北端にはたどり着けなかったけど、あの丘を走った記憶は色あせない。懐かしいなぁ」

また乗ればいいじゃないですか。バイクに。

「いやぁ~さすがに80になろうかという老いぼれに… また乗りたいけど昔の風景や風の感触を思い出して、輝いていた過去に想いを馳せるのが老人なのですよ!」

「・・・それに、もう体がうまくなくてね」

そう寂しそうに言って慧さんは巡回に行ってしまった。

それからしばらくの月日がすぎて慧さんの姿を見かけなくなった。管理会社の所長に慧さん見かけないけどどうしました?と尋ねると。

「それが慧さん1年前からガンだったみたいでね、ここ数か月で悪化しているみたいで。先月付けで退職されたのですよ」

ええっ?

「先週から後任の管理人が本部からきましたので、こんどご紹介しますよ」

そうでしたか…それは知らなかった 長いことお世話になったのに挨拶もできずにお別れになってしまった。つい最近になって慧さんのことが少し好きになった私は軽くショックだった。

「ところでこのオートバイは何ccですか?」

あっ えっと1200ccですね。

突然知った慧さんの病気と退職のこと。事前に知っていればもっと話をしたかったのにな。100回以上も排気量を聞かれてうんざりしていた自分に急に嫌気がさしてきた。寂しい…とにかく寂しい。うっとうしいけど居なくなると途端に寂しくなる、そんな人ってたまにいるけど慧さんも正にそんなタイプの人だ。

それから数週間後…いつものように洗車場にR1200GSを置いてメンテをしていたある日。真新しい制服を着た見慣れない管理人さんがやってきた。

「こんにちは 大きいバイクですねー」

慧さんの後任で来られた管理人だそうだ。年は慧さんより10は若いだろうか。恰幅がよくおしゃべりが好きそうな感じだ。

あ、どうも、よろしくお願いします。

何となく嫌な予感がしたので忙しいフリをして手短に挨拶だけした…

と、次の瞬間

「このオートバイは何ccですか?」

・・・end

 

三途の川と血の池ツーリング

2008年8月

一週間前、千葉にある職場から仕事を終わらせて、そのまま旅の荷物をパッキングしたR1200GSに乗って東北自動車道を北上した。岩手山SAで仮眠し青森港からフェリーで函館へ。この時はとにかくたっぷり走りたかった。まだ新しい愛車であったR1200GSからも「たっぷり走ろうぜ」と誘われている気もした。

今回の旅は函館からニセコエリアに入り、ニセコパノラマラインを走って日本海側へ、小樽から海沿いに天塩方面へ走りオロロンラインを経て稚内。最北エリアを楽しんだら美深へ向かい道北スーパー林道のロングダートを楽しんで富良野、美瑛エリアと花人街道を南下。日勝峠を越えて屈斜路湖まで行ったら再び海を目指して知床半島。そこから北太平洋シーサイドラインを走り根室エリアの最果てを味わう。最後は黄金道路を襟裳岬まで走って海沿いから伊達市を通過して函館に戻るという、北海道ツーリングのフルコースだ。

加えて大洗~苫小牧のフェリーは使わず、東北自動車道を自走する計画なので全ての行程を合わせると5000㎞にもせまるロングツーリング。それだけ走っても疲労感は少なく「まだまだ走れるけどね」とR1200GSは言う。長旅の7日目にして実に頼もしいバイクだと感じさせてくれた。

しかし、さすがにお盆休みに有給休暇をつなげた8連休。さらに休むわけにはいかない。北海道の全工程を満喫し道内の最終日はアルトリ岬キャンプ場を出発して登別温泉を楽しんでから函館港へ直行し帰路を目指した。函館港フェリーターミナルは一年ほど前に新しい建物にリニューアルされ、まるで空港を連想するような近代的で立派な施設へと変貌していた。

新しいのは良いことだけど一人旅の雰囲気が似合わず観光色が強まった感じで少し寂しい。予約していた便よりもだいぶ早く到着したので、カウンターでもう少し早い船に変更できないか?と尋ねると、ちょうど新造船の高速船にキャンセルが出たので今すぐ乗れると…。ちょっと料金が高かったが、受付のお姉さんが「お客様はラッキーです」みたいな言い方だったので、まあ良いかと思って新造船【ナッチャンWorld】とやらに乗ることにした。

しかしこのナッチャンWorldという高速船、驚いたことに海面から浮いて航行するジェットフォイル型であるにも関わらずカーフェリーというすごい船。船内も空港のラウンジサービスのような高級感がある。いざ出港すると乗っていて速いのが分かるほど高速で揺れも少ない。料金が高いのも納得で良く見ると他のバイクも輸入車ばかり…自分のバイクも輸入車だけど、少し場違いな感じがした。




通常の船と違いあっという間に青森港へ着いてしまった。予定よりもだいぶ早いので下北半島をツーリングして今夜はむつ市にある国設薬研温泉キャンプ場に泊まろうと決めた。国設薬研温泉キャンプ場は北海道ツーリングするライダー達が渡道、または戻りで一泊する定番のキャンプ場だ。この日はお盆休みのUターンラッシュと重なるため混雑が予想される。

「混んでいたら嫌だな」そんなことを考えながらR1200GSを走らせていると、何やら辺りが重苦しく荘厳な森の風景を走っていた。恐山だ…。日本三大霊場といわれるこの地は極楽浄土の景色が見れると聞いたが本当だろうか?心がなんとなくザワザワする感じを覚え、私はいま最もあの世に近いと言われる場所をR1200GSで走っているのだ。

ほどなく走ると日没が近づいてしまった。ちょっとのんびりし過ぎてしまったようだ。ここからキャンプ場はそう遠くはなさそうだけど、この時間に行ったらテントを張るスペースも限られているかもしれない。そんな風に思ったとき、目の前に息をのむような美しい湖が現れた。「うわっなんだここは、綺麗だな」まるで南国の海のようなアクアブルーに白い砂浜。その入り江は箱庭のような小さな空間で湖というより海だった。

間もなく日没だし明日は高速の渋滞を回避したいので午前3時には出発したい。キャンプ場でそれをやると迷惑だから、この場所で野宿してしまおうか…。辺りの様子を細かくチェックし、火を使わずテントを張るだけなら良いだろう…と思い、この美しい砂浜で野宿することにした。

MSRのテントを張り終える頃には周囲は魔時の雰囲気になり、山の稜線に沈みゆく夕陽が息をのむほど美しい。辺りは気味が悪いほどにシーンと静かだった。

美しい夕陽のショータイムを満喫してコンビニで買ってきたオニギリを食べ、明日は早いのでビールも飲まずに寝ることにした。7日間で走り切った疲労感が適度に気持ちよく3時まで良く眠れそうだ、とこの時は思った。

しかし、どうにもうまく寝付けない。寝袋の中でモゾモゾと動き回っては目が冴えて。静かな周辺がなぜか騒々しいような気配を感じてしまい、安心して眠るような気分ではなくなってしまった。

暫くすると一台のバイクの音が近づいてきた。250くらいの単気筒だろうか。そのバイクは私の近くまで来て少しの間止ってアイドリングしていたが、やがてエンジンを停止させた。「誰かくるな」と思いテントから出てみるとそこには懐かしいホンダAX-1に乗った若い女の子がいた。

AX-1の後部には北海道を旅してきたのか?たくさんの荷物が整然とパッキングされていた。ウェアーはこれまた懐かしい上野バイク街にあったCORINで売っていたファクトリーベアだ。派手な蛍光カラーと熊のマークが80年代していて、いま見ると新鮮だ。20年以上経った今でもよく手に入ったと感心してしまった。

彼女はヘルメットを脱ぎ笑顔で「こんばんは」と言った。小さな顔は80年代風に言うと小麦色に日焼けしていて、髪は三つ編みでツインテール。バイクもウェアーもライダーも全て80年代という感じで驚いた。




「あっ、どうもこんばんは。君も北海道を走ってきたの?」

「いいえ、私はずっとこの辺を走っているの。今日、ここでキャンプするの?」

「キャンプ場は混雑だろうし、明日は3時に出発するので少しだけね」

「それでしたら、私もご一緒していい?」

えっ、君もここで野宿するのか?女の子が?近くにトイレはあるけど、誰も居ないこんな場所で見ず知らずの男と2人でキャンプ? …戸惑ったが私の返答を待つことなく、彼女はAX-1の後部に積載された荷物を解き、テントの設営をはじめてしまった。

しかしこのAX-1、旧車をレストアしたとは思えない新車のような輝きを放つ。通常、カウルなどの樹脂パーツは退色するもので、綺麗に手入れしていても古い物は見れば分かる。しかしどうだろう?まるで新品パーツのような色をしている。ホワイトのキャストホイールも塗装し直したのか、掃除のしにくいハブの周辺まで真っ白だ。まるでタイムスリップしてきたようなAX-1だ。

テントはこれまた懐かしい80年代の蛍光パープルと鮮やかなイエローのダンロップ ダルセットシリーズだ。太いポールが現代のテントとの違いを感じる。かなり手慣れた様子で私のテントの3mほど隣にダルセットテントを設営した。

「私、妙子。いつもこの辺を走っているの。こちら側の浜は極楽だけど、あの川の向こうは血の池があって地獄なのよ。今はお盆だから賑やかね」

「はあ?」

最初は何の話をしているか分からなかったが、妙子の話を詳しく聞くうちに、ここは宇曽利山湖という湖で極楽浄土の浜、三途の川、血の池地獄がある霊場であり、いまは多くの死者がここへ集まる時期なのだと。そんな恐れ多い場所で私は何も知らずテントなど張っていたのだ。それは寝付けなかったのも納得だ。

時計を見ると20時をまわったところだった。

「知らなかった…それなら、バチ当たりだから俺はもう撤収して失礼するよ。」

と妙子に伝えたが「私がいれば大丈夫」とほほ笑むだけ。なぜ?彼女がいれば大丈夫なのだ?ここの番人であるかのように自信をもってそう言う。まあ、彼女もいまテントを張ったところで、そこで私が帰ってしまえばある意味失礼でもある。そう思い予定通り3時までここで寝ることにした。

「明日、俺は3時には出発しちゃうけど大丈夫かい」

妙子は微笑むだけで言葉を発しなくなった。やがて強烈な眠気が襲ってきて堪らず「もう俺は寝ちゃうね」と残してMSRテントの中へ滑り込んだ。その後、おそらく秒殺で熟睡したと思われる。

サーマレスト製のマットを砂浜の上に敷いた寝心地はちょっとした高級ベッドのような寝心地だ。夢の中でもその心地よいフワフワ感に包まれ、見えた訳ではないが辺り一面に花が咲き乱れ心地よいそよ風が吹いている中を寝ているようだった。

深い眠りの中でいい香りを感じた。夢なのか現実なのか曖昧なままその香りが何であるか記憶の糸をたどっていた。白檀の香りだろうか?それとも何か別の花かな。とても品があり高貴な香りという感じた。すると人の話し声が聞こえてきた。何人かの人が湖に立っている。それは宇曽利山湖ではなく別の風景で、そこにいる数人の人は見たことも会ったこともない男であった。

「誰だろう?何を話しているのだろう?」

あのう?どうされましたか?

尋ねても私の問いかけは虚しくも無視されているようだ。

「妙子がいない。妙子が帰ってこない」

「だから北海道に行くなんて、俺はとめたんだ!」

男たちはこんな会話で何やら妙子のことを話していた。

私は自分がなぜここに居るのか?ここがどこかも理解しないまま男たちに向かって

「あの~、AX-1に乗った妙子さんのことでしたら、宇曽利山湖でキャンプしていますよ」と告げると男達は私の方を見て不思議そうな顔をし、近くにある木を指し示してこう言った。

「あの木は衣領樹といって奪衣婆が死者から奪った服をかける木だ。枝のたれ具合でこの世の罪の重さを測るものだ」

その衣領樹とやらに目を向けると妙子が着ていたファクトリーベアのウェアーがかかっていた。枝は大きく垂れ下がり地面すれすれの位置だった。男の話がもし本当であれば妙子は既に死んでいて、現世での重い罪を奪衣婆に知られてしまったところだと言う。




そ…そんなバカな。再び男たちがいる場所へ目を向けると、もう彼らの姿はそこにはなく、代わりに幾つかの風車が水面に刺さって風を受けて回転していた。

「もういいのよ」

どこからともなく、妙子と思われる声が聞こえてきてハッと目が覚めテントの中で飛び起きた。2時45分… 変な夢だった。アラームをセットし忘れていたが、夢から覚めた瞬間が偶然にもちょうど良い時間だった。不思議なことにテントの中には白檀のような良い香りがまだ仄かに残っていた。

よく眠れたせいか体の中から清々しさが湧きたってくるような感覚だ。まるで夢の中でみたあの世界が極楽浄土であり、心身ともに清浄されたようだ。外はまだ真っ暗だが心は明るく、生まれ変わったような気分である。

テントの外に出ると妙子はもういなかった。テントもAX-1もない。それどころか砂地であるにも関わらず、AX-1が通ったはずの場所にタイヤ痕がないし足跡すら見当たらない…」

…早くここを出よう。

急に怖くなりテント撤収時間が僅か10分という最速タイムをマークしてR1200GSに火を入れて砂浜を出た。いちど停止しナポレオンミラーに目をやると、地面にあるはずの無かった一輪の赤い風車がそよ風にゆられてこちらを見ていた。

「…ありがとう。妙子さん、もう行くね」

東の空が明るんだ山の峰々にR1200GSのボクサーツインサウンドがひびいた。

※奪衣婆(だつえば)…三途の川のほとりにいる鬼形の姥。衣領樹(えりょうじゅ)…奪衣婆が奪った死者の衣服をかける樹木

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アホな青春バイクコラム【空中遊泳ライディング】

1991年2月

高校生だった私は90年式VFR400R(NC30)を愛車に峠を走るバリバリの走り屋だった。そう…バリバリで、ある。NC30はエトスのレース管、HRCのCPU(点火系統変更とリミッター解除)、BEETのエアロシャークフェンダー、コワースのバックステップ、タイヤは横浜のゲッター003、下品な耐久カウルなどは装着せずパッと見はノーマル然とした玄人スタイルだ。

地元の仲間でチームを作りお揃いのトレーナーを革ツナギの上に着て峠を走る。私は学校では真面目を装っていたので、夜の埠頭走りはせず昼間の峠専門。走り屋の中でも不良系ではなく見た目は普通の高校生だったと思う。

その日、同じ高校に通う同級生のSと行きつけの峠の近くのコンビニでたむろしていた。週末の峠は100台近いバイクが集結し、事故や近所迷惑が問題となって定期的にパトカーが巡回にくるのだ。パトカーがやってきたときは決まってこのコンビニに避難し仲間たちとダベりながら時間を潰した。その日もおばちゃん婦人警官2人が乗ったミニパトがやってきてマイクで怒られた。

「ここへ来ているライダーのみなさん、騒音が迷惑です。ただちに家に帰りなさい。高校生は学校へ通報します。」

S「あの婦警のオバちゃん、母ちゃんに似ていて気持ち悪い」

ここ最近になってよく見かけるミニパトの婦警2人。確かに運転していた婦警さんは糸のように細い目と毛虫のような眉毛がSにそっくりだった。しかし笑っては友人であるSに悪いと思ってこらえた。




Sは数か月前に高校を中退してしまい、来年度の春から北海道の余市にある少々変わった高校に入るのだとか。性格が悪すぎて学校の不良グループから酷いいじめを受けて不登校になってしまったのだ。余市の高校は中退した学年から始めることができる全国で唯一の高校なのだとか。北海道へ行く4月まではバイク便のアルバイトをしながら悠々自適にプータローを満喫するのだと。

Sは古いボロボロのRG250ガンマから89年式のNSR250R-SPに乗り換えていたが、こちらも走り屋にいじり倒された酷いポンコツだった。せっかくのマグネシウムホイールが缶スプレーで蛍光ピンクに塗装され、ところどころ剥がれて目も当てられない。エイのような耐久カウルはヒビだらけで番線で縫われている。タンクについてはよそのチームのステッカーがびっしりと貼ってありロスマンズカラーの面影もない。

Sはとにかく転倒や事故、トラブルの絶えない破天荒なヤツで地元の警察からも目を付けられていた。Sの無茶苦茶ぶりは主に自分でイジった改造に由来するものが多かった。

走行中にスプロケットが緩んで外れたチェーンがアームに挟まり、タイヤがロックしたまま湾岸道路の交差点に突っ込んだり、走行中にブレーキキャリパーが外れてコーナーを曲がり切れず川に落ちたりとブレーキ系の整備不良が多かった。一方でキャブレターのセッティングとか、自分で腰上をオーバーホールしたエンジンとか、気味が悪いほど高回転までよく回る極上エンジンに仕上がったものだ。エンジンは絶好調だがブレーキは壊れるという地獄への片道切符のようなバイクがSのバイクなのだ。

「そういえば茂原のチームのY君、S山で転倒して腕を骨折だってな」

S「おうよ。」

「1年のTも免許とって早々に事故って左脚を骨折、後方排気(TZR250)も廃車だって」

S「おうよ」

「みんな骨折が多いな」

S「みんな鍛え方がたんねーんだ。それに事故り方が下手だ」

「事故り方に上手いも下手もあんのか?」

S「おうよ。俺なんかな、バイク便の経験が長いだろ?都内なんて行くとタクシーとしょっちゅう接触事故だからよ、事故り方もダメージが少ないように上手いことやんだな」

「へ~すげーな」

Sの糸のように細い目が光った。

S「あ~これは当たるってなったとき、タクシーのどの部分を狙って突っ込むか最後の瞬間までコントロールすんだ。そんで体が空中に投げ出されたら、姿勢を整えて着地点を探す、例えば植え込みとか土の地面とかな。あと道路を滑走している時は反対車線に出ないようスキーみたいに進路を調整するんだ」

「まじかよ」

S「空中を飛んでいる時や道路を滑走しているときに、瞬時にこの先どうしたらダメージを最小限にできるか考えるんだ、後は本能で勝手に体が正しい方向にいく」

「そうえばオマエ、何度も事故っているけど骨折とかしないよね」

S「おうよ、俺は骨折なんてしたことねえ。これからもそんなマヌケなミスはしねぇ」

Sはいつでも上から目線で自信満々の男だった。だから嫌われていじめを受ける羽目になったのだが…。しかしその自信は説得力のあるものが多く、暴走族に追い回されて逃げる時にうまいこと誘導したり、骨折した仲間に当て木などして的確な応急処置をしたり、強く頼もしい一面も持っていた。

S「俺、夕方からバイトだからもう帰るわ」

手に持っていた鉄骨飲料を飲み干して細い目が言った。

「おう、そしたらここ、中央分離帯で右折できないから先の交差点でUターンしたら豪快にウイリー決めていってくれや」

S「おうよ、みせたら俺のウイリー」

「4速までつなげよ」




Sは峠ではパッとしない速さで私のNC30に追従することも出来なかったがウイリーの技術は素晴らしいものがあった。ほぼ垂直の角度を安定してキープし確実に加速していくのだ。どうやったらあんな角度であの加速ができるのか?といつも感心していた。

Sは汚いプリカーナのツナギのファスナーを首元まで上げ、同じく汚いAraiラパイドを被って颯爽とエンジンをかけ、NSR250R-SPボロのまきちらすイチゴの香りの白煙(※)の中にその雄姿を霧散した。

ほどなくして先の交差点でUターンしてきたSが吹け上りの良いレーシングマシーンのようなエンジン音をSSフクシマのチャンバーから響かせて近づいてきた。それはまさに【主役の登場】を意味するSの咆哮に他ならなかった。私たちの視界に入るころにはとっくに垂直ウイリー状態になっていて既に3速ギアに入ったところだった。

「すげ~、かっこいいな」コンビニにいた走り屋達、他の客、店員までもがSのウイリーに視線を釘付けにした。

私の目の前を通過する刹那、ラパイドのシールド越しにSの糸のように細い目、毛虫のような眉毛が「どうだおまえら!」と誇らしげに光った。

その直後…「ウォン!!!」というエンジン音と共に均衡を保っていた何かの支えが破綻したようにNSRは左右にふら付きはじめ、垂直ウイリーの車体は無重力空間で月面着陸を試みるような謎の乗り物と化した。

「うわ、あぶな」

バランスを崩したNSRは中央分離帯の緑地に積んであった工事用資材の山に突っ込み、Sの体は空中に投げ出され美しい放物線を描き始めた。

あ…空中でコントロール…??私がそう思った矢先、Sが目指したランディングポイントは誰も予想しないエリア51だった。




ミ…ミニパト?!

先ほど峠に来たSのお母ちゃん似の婦警のミニパトがちょうど反対車線からやってくるところだった。そのフロントウインドウにSは背中から突っ込みガラスは粉々に砕け散った。衝撃か回避か進路を逸れたミニパトはそのまま縁石を乗り越え、コンビニの隣にあった小児科の駐車場に突っ込んで止った。

あわてて私と仲間達はSの居ると思われるクラッシュしたミニパトへ駆け寄る。騒ぎを聞いたコンビニの店員や他の客もやってきた。車体の下からクーラントが流れ出ている。車内をのぞくとSはミニパトの運転席と助手席を橋渡しにするような恰好で車内で横たわっていた。その様子は運転席にいたお母ちゃんに寝かしつけてもらっている子供のようにも見えた。

「まあ、たいへん…大丈夫あなた」ガラスの破片まみれの婦警が慌てて言った。

糸のように細い目、毛虫のような眉毛の・・・の太ももを汚いラパイドが膝枕に。その内部に同様に糸のような細い目、毛虫のような・・・ Sである。反社会的なローリング族と社会秩序を取り締まる警察の相反する両者が、母子の愛で和解したような不思議な空間だった。

「ぷっ…ダメだ」

私は親友の不幸が蜜の味を通り越し、袋に火が付いたように笑いがこみ上げてきた。笑っては駄目だ!と思うほどにおかしく感じた。しかしSに見られたらブチ切れされると思い必死にこらえた。

車外に出されて手当されるSは右足の膝下がどうも様子がおかしい。通常、人間の足は膝の関節は後方にしか曲がらない構造だ。しかし今のSの右足は小学生の時に説明書を読まずに組み立てたガンダムのプラモのように前に向かって曲がるのだ。

婦警「まあ、大変だわ、これは骨折よ。救急車はいま無線で呼んだからね」

「ぷっ、お母さん、これは明らかに変な足ですけど骨折ではありませんよ」

婦警「私、この人のお母さんじゃありませんよ!」

「あっすいません。でもコイツ、つい数分前まで絶対に骨折しないって言ってましたよ」

数分前までの自信に満ちたSの顔は蒼白で、Sのことを良く知る走り屋連中は「ざまあみろ」といわんばかりにニヤけていた。中でも酷いのはその中の一人はコンビニに戻ってわざわざ【写ルンです】を買ってきて前方に曲がったSの足と一緒に記念撮影まではじめた。

婦警「あなたたち、やめなさい、友達が大怪我しているのに」

「お母さん、大丈夫ですよこれくらい、いままでガソリンあびて火だるまになったり、脳にドライバーが刺さったりしましたが死にませんでしたから」

S「母ちゃんじゃねえっつの!!」こんどはSが叫んだ。

その直後、駐車場の主である小児科の医院長らしき高齢紳士がやってきた。

「大丈夫ですか!あぁ、これはひどい事故だ、救急車が来るまで当院の中へどうぞ、さあお母さんもご一緒にどうぞ」

S「母ちゃんじゃねえっつの!!!!」

やがて遠くから救急車のサイレン音が聞こえてきた。

…END

※2ストロークエンジン用オイルは当時、イチゴやらココナッツやらの香りのするものが発売されていました。

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幽かな老人は「そのオートバイは何ccですか?」と聞いた

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幽かな老人は【そのオートバイは何CCですか?】と聞いた

 

テントをたたく雨の音で目覚めた。

予報通り朝の7時から千葉県南房総市の天気は雨になった。雨雲レーダーといくら睨めっこしていても好天になるはずもない。このキャンプ場は遅くとも11時には出発しなくてはいけない。寝袋は収納袋に入れ他の荷物も片づけた。あとはR1200GS-ADVENTUREのアルミケースに放り込むだけ、という状態にしテント撤収の【その時】をひたすら待機した。

ザーっという雨の音が少し小さくなりポツポツという細かい音になった。その瞬間を見計らい、今だとばかりにテントを撤収。フライシートもバイクカバーもズブ濡れであるが軽く水気をはたいて手早く畳み込む。雨の撤収は心が折れるが仕方がない。午後から晴れるという予報だけが希望である。

防水シートを地面に広げ2つ折りにする。その間にテントから出した細かい荷物をひとまず置いておく。こうすればケースに収納するまでの間に荷物が濡れることはない。むかしから雨のキャンプはこうして撤収作業をしている。

管理人さんにかるく会釈をしてR1200GS-ADVENTUREに火を入れてキャンプ場を出発した。荷物が濡れているので来た時よりやたら重く感じる。

房総半島の背骨と呼ばれる国道410号を南下し捕鯨の漁村である千倉が近づくと潮の香りが鼻腔をなでる。素朴な海岸集落を走り抜けると国道410号は南国ムードになってゆく。

この頃にはすっかり雨も止んで空の雲間には僅かにスカイブルーが見えてきた。今朝の撤収がやたら疲れたので漁港で休憩をした。昼の漁港は人が少なくトイレも自販機もあるので私にとって定番の休憩ポイントだ。この誰もいない静かさと船体を休める船たちの景色が大好きだ。




せっかくの南房総なので昼食はキンメかイセエビあたりを頂きたいけど、観光客に近づきたくない気分だったので行きつけの定食屋でアジフライと竹岡ラーメンをいただいた。この店、いつからあるか知らないけど幼少の頃に祖父とよく来た想い出がある。店内はコンクリ製の生け簀があって昭和レトロな雰囲気がぷんぷんしている。常連客は主に釣り人やサーファーだ。

年甲斐もない程に腹を満たしきって店のおばちゃんと去年の台風の話などを少し交わして店を出た。天気予報の通り空は清々しく晴れていた。

「そうだ荷物を干そう」

ズブ濡れのキャンプ道具達を太陽光に当てて乾燥させたい。そう思って広い駐車場のある海水浴場を目指した。

広大な駐車場に他の車は1、2台。どれだけ店を広げても誰にも迷惑にはならないだろう。テント本体、フライシート、グランドシート、そしてタープ。地面に広げて風で飛ばないよう四隅にスチールペグを置く。

そしてヘリノックスチェアーを組み立てて缶コーヒーを飲みながら読書としけこもう。気持ちの良い日差しの下で読みかけの森鴎外の続きを読む。暫くすると初老の男性が近くにやってきて私にこう尋ねた。

「このオートバイは何ccですか?」

この質問はライダーであれば誰でも経験することだろう。旅先で見知らぬ人に話かけられた時の定番の質問だ。

「これは1200ccですね」

私の場合はいつも丁寧に応対するよう心がけている。巷では排気量を質問してくる紳士のことを「ナンシーおじさん」などと揶揄する風潮があるようだが、私はライダー達を見守る守護神のような存在だと思っている。

排気量の質問1つに応対した僅かな時間が、走り出した直後に襲う不運な出来事とタイミングをずらしてくれるのだ。もし排気量の質問に答えず無視して走り始めれば、すぐ先の交差点で信号無視の車と接触事故を起こしているかもしれない。ナンシーおじさんはそんな不運からライダー達を守っている生きとし地蔵菩薩なのだ。

森鴎外を30ページほど読み進めた頃、こんどは犬の散歩をしている紳士がやってきたそして彼はこう尋ねた。

「このオートバイは何ccですか?」

…まあ、連チャンも決して珍しいことではない。特にR1200GSは空冷ボクサーエンジンが左右に張り出していて、高齢紳士にとっては懐かしいあの日のバイクに雰囲気が似ているのだ。機械の持つ独特の雰囲気にメグロや丸正ライラックで駆け抜けたあの風景が蘇るのだろう。

案の定、その紳士との会話のやり取りは陸王からメグロに展開され、シャフトドライブの悪癖や米軍から払い下げたバイクの話で盛り上がった。

「ジャマして悪かったね」と紳士は犬を連れて嬉しそうに去って行かれた。その後ろ姿からは正に仏のような神々しいオーラを感じた。

再び小説を30ページほど読み進めたころ、こんどは90代くらいだろうか…近所の人と思われる紳士がやってきた。

「このオートバイは何ccですか???」

・・・・・・・・・




・・・・・・・・・

足元がおぼつかない。地面をちゃんと捉えていない感じだろうか?目も悪く遠くがよく見えない。ひどく疲れてゆっくり歩くことしかできない。

海岸を歩く自分はすっかり老けて遠い記憶の旅路を毎日のように空想している。100年も生きると死などさほど意識しなくなる。しかし体の節々が痛くても毎日、夕方になるとこの海岸の散歩だけはかかさない。

おや、あそこに誰かいる。男が一人、海を見ている。傍らに大きいバイク。近くに行くと中年の男が海を見ている。そしてあのバイクは…BMW R1200GSではないか!!私が50年前に乗っていたかつての愛車と全く同じ、空冷水平対向エンジンを搭載したアドベンチャーバイク、R1200GSに間違いなかった。

私は男の近くに寄り1つの言葉を投げかけた。

「このオートバイは何ccですか???」

自分でも何を言っているのかよく分からなかった。なぜその質問?自分がさんざん乗っていたのだから1200ccであることは知っているのだ。なぜ排気量を聞いた?他にかける言葉はあるだろう?

しかしこのR1200GS、とても50年以上前のオートバイとは思えないほど新車のような輝きだった。燃料はどう調達して走らせているのだろう?2020年に当時の菅総理が温室効果ガスを2050年までにゼロとすると宣言されてから、自動車やオートバイの内燃機関は縮小の一途。2050年を数える前に絶滅して久しい。エンジンオイルはどうしているか?車検はどう通しているのか?聞きたいことは山ほどあったが沈黙している男に再びかけた言葉は…

「何ccじゃね??」

やはり同じことを聞いてしまった。思っている事とは関係なく口から出るのは排気量のことだけ…

男が怪訝そうに私の方を見た瞬間、戦慄が走った。顔が無い…いや黒い。まるで写真にある顔を油性ペンか何かで塗りつぶしたように、黒い何かがグチャグチャと顔を覆っている。目も鼻も口もない。いったいどうしたというのだ?

男は驚く私を尻目に(といっても目はないが)ヘルメットを被りR1200GSのエンジンを始動させた。車体を左右に揺らしてボクサーツインに火が入る様子は懐かしくもあり何だか切ない。

去っていくR1200GSを見送り無視されてしまった虚しさと幻を見たような不思議な感覚に包まれた。一体誰だったのだろう?一体何だったのだろうか?しかしR1200GSは懐かしい私のイカロス。できることならもう一度、R1200GSに乗って旅に出たい…かつての日々のように。




帰宅して縁側で夕陽の光を浴びていた。ひどく胸騒ぎがする。暫くすると集落の知人がやってきて私を呼んだ。

「大変だ、この先の交差点で事故だ。いま救急を呼んでくるから見に行ってくれ」

それは大ごとだ、急いで説明された場所に向かう。なぜだか幼いころに夢で見たような暗い坂道をひたすら登る。登っても登っても進んでいる感じがしない。軟らかい砂の中を歩いているような感じだ。ほどなくすると何かがボンヤリ見えてきた。

前方に人が倒れている。先ほどの男だ!R1200GSは原型をとどめないほど激しく大破している。いったい何が… この時代に交通事故など滅多に起きるものではないのに。事故の原因は地面から突然隆起して出た巨岩だった。なぜ…とつぜん地面から岩が??

倒れている男は苦しそうにうめき声を出している。「いまヘルメットを外してやるよ」男を仰向けの楽な姿勢にしてやり、ヘルメットをそっと外した。その瞬間…あっと私は声を漏らした。

先ほどまで謎の黒い何かで覆われていた顔は穏やかな表情であり、その顔は紛れもなく30代くらいの頃の自分だった。事故のショックか蒼白な顔をしているが…間違いない・・・この顔は自分だ。

iphone7

「大丈夫かい、いま救急を呼んでいるからもう少しの辛抱だ」

男の目は閉じたまま静かだったが、やがて血の涙を流し始めた。そして男は「カッ」と目を見開いて私を睨みつけこう言った。

「1200ccだよ、何度も言わせんなジジィ」

うわぁぁ~ 思わず声を出して叫んだ瞬間、地面から出ていた岩が消え大きな穴となり私はその穴に吸い込まれ真っ逆さまに転落した。

・・・・・・・・・・・・

はっと目が覚めた。私はヘリノックスチェアーにもたれかかって、すっかり眠っていたのだ。太陽はしずみ辺りはすっかり魔が時の暗に包まれていた。夕陽をあびて暖かった体が冷えはじめている。

急いで乾いたキャンプ道具を畳み、R1200GS-ADVENTUREのサイドケースに収納した。すっかり油温が冷えてしまったエンジンは少し重ったるく始動した。

ヘルメットを被りギアを1速に入れてから、辺りをもう一度見渡してみた。

「もう排気量を聞いてくるオジサンはいないだろうな…」

ナンシーおじさんの残党がいないかを入念に確認してR1200GS-ADVENTUREを暗闇の中、千葉市まで走らせた。

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 ライラックで駆け抜けた丘 

 

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佐渡ツーリングでまたリコーGRをぶっ壊しました

究極のツーリング写真 touring-photography.com 読者の皆さま、前回まででツーリング写真の魅せ方シリーズと題して14回もの解説を作ってみましたが如何でしたでしょうか?写真ビギナーの方、写真で何かお悩みのある方に一つでもお役に立てたことがあれば幸いです。

撮り方=魅せ方 被写体や風景の特徴を受けて撮影者が心動いたことを表現する手段。それが写真の魅せ方です。複雑な手法を駆使しようとシンプルに魅せようと、あるいは美しさにこだわってアーティーに魅せようと、敢えて撮り方は駆使せずリアリティを優先しようと、それは撮影者の自由です。

私の場合はこうです!という個人の発表なので他の人がどうしていようと関係ありません。自分ワールドこそ正義と信じましょう。

写真はキャリアを積んでいくうちに被写体への理解も深まり自身のスタイルも確立されていきます。一朝一夕に成就する世界ではありませんが「あっそういうことか」という小さな気付きを繰り返してステップアップしてくださいね。

さて、今回は珍しくブログらしい記事を書いてみたいと思います。

佐渡汽船 新潟港にて

先月に旅した長野~佐渡ツーリングのお話を書いてみたいと思います。

今回、はじめて旅した佐渡なのですが素晴らしかったです。しかし8月のお盆の時期だったので皆さまもご存じの通り記録的な猛暑日が続く日々。雪国で涼しいような印象のある新潟県は想像以上に暑かったです。

私はよほど悪天候にならない限りは宿は使わずキャンプする人間なのですが、今回は熱帯夜にやられました。海岸でキャンプをしたのですが暑くて寝付けず。夜の気温はおそらく28℃くらいでテント内はそれより数度は高いので30℃くらい。汗が流れてくる暑さです。

私の愛用するテント、ダンロップRシリーズは両ドアをフルメッシュに解放できるので大変通気性の良いテントなのですが、そんなことをしても無風だったので意味がなく。奥の手でフライシートを外してテント本体だけにしてみましたが、やはり暑さは変わりませんでした。

暑い暑いとテント内でもがいていると、こんどは「プシュ」と何やら嫌な音が。マットの隔壁が剥がれてしまったようで写真のような状態に。実はこのモンベルのULコンフォートマットはかれこれ10年くらい前に購入したもの。ストーブなどの機械物と違って一定の期間で必ず寿命のくるこの手のギアを使い続けていた自分のミスです。マットはやがてエア漏れを起こしてペシャンコに。ただでさえ寝苦しいのに地面に直接寝る羽目に・・・。

久しぶりに睡眠不足の朝を迎えました。




この後、佐渡の天気予報は不安定でありながらも予想最高気温は連日猛暑の予報。もうキャンプできないな…と諦め、ダメ元でツーリングマップルに紹介されていた宿に電話をしてみました。

お盆休み中に飛び込みで宿は難しいだろう…と期待薄でしたが、コロナの関係で東京の人が自粛しているせいか二つ返事でOKでした。宿は住吉温泉の源泉かけ流し、みなみ旅館さん。お部屋も温泉も食事も素晴らしかったです。

しかし何より暑さに弱り切った体に冷房の効いたお部屋で寝れることが有難かったです。すっかり旅人精神を失ってダラダラと快適に過ごしました。

その後、佐渡にいる間は大きく天気が崩れることはありませんでしたが、写真のように局地的にザーっと降る事は何度かありました。写真はたまたま街中にいたのでスーパーの軒下を借りて雨宿りをしている所です。こんな場所にデカいバイクを停めて邪魔なんですけど、この大雨で雨宿りしている旅人に厳しく当たる人は佐渡にはいませんでした。

それよりこのスーパーの総菜コーナーに売っていたお寿司が、軽く衝撃を受けるほど美味しかったです。佐渡といえばブリやズワイガニが有名で海産物は何でも美味しいのですが、お寿司が美味しい本当の理由はシャリが佐渡米だからだと思います。

佐渡米は他に流通することの少ない知られざる高級米です。結局、翌日も大野亀で夕陽の写真を撮ったりで食事処へ入るタイミングを逃したために、同じスーパーに行ってまたお寿司を買って宿で食べました。

こんな小さな事も旅の良い思い出になるものです。




妙照寺に境内にある仏舎利塔

それから佐渡といえば日蓮の縁もあり、各所に寺があるので代表的な妙照寺と五重塔のある妙宣寺を参拝しました。写真は妙照寺にある仏舎利塔。本来はお釈迦様の遺骨を納める塔だそうです。

 

上:GR Digital3  下:GR(APS-C)

それと今回、愛用しているGRをまた壊してしまいました。症状としては電源を投入しても幕が閉じたままで真っ暗。前回に壊した時と同じ感じです。GRを壊すのは今回で3回目でツーリングにコンデジを持って行くと本当によく壊すな…と実感しています。一眼レフはただの一度も壊れたことなんて無いのですが。

で…GRが無いと日々も退屈なので中古でGR Digital3を購入してみました。写真でお分かりのようにGR APS-Cよりも一回り小さいんです。RICOH GRはフィルム時代からあるスナップの名機ですが、デジタルの初代モデルがGR Digital1、それが1~4まで続いてAPS-Cのセンサーを搭載した世代から「Digital」の名前が消えました。最新モデルはGR3でDigital時代とほぼ変わらないほどコンパクトになりましたけど…いま買うと高いですからね。

ちなみにGR Digital3はヤフオクで7000円程度でした。カメラを旧モデルに買い替えるというポルシェ911ファンのような人間です。

RICOH GR

しかしRICOH GRというのは本当に不思議なカメラです。画面の隅々までシャープで独特の描写があります。SPECでは説明のつかない魅力をもったカメラです。写真は瞬間であること…その景色が撮影者にとってどんな瞬間なのか?といつも問いかけてくるように感じます。




通勤途中によく寄るお気に入りのカフェ(コーヒー100円)で撮ったGRデジタル3。やっぱりコンパクトになったの有難いです。クロップ機能が無かったり連写や書き込み速度が遅かったりと比較したら可哀そうですが。それでも肝心のAPS-Cではなくなったことは気にならないレベルだったのは安心でした。改めて高画質=いい写真ではないと認識。ちなみに写真にあるオレンジのポーチはDAISOでもちろん100円です。

GRを壊しちゃったことは残念ですが残暑の中、東京のカフェでGRデジタル3を眺めながら佐渡の旅を振り返る。旅は出発前の高揚感と帰ってからの余韻と言える回想期間がいいのですよね。

今回はこの辺で!!

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ツーリング小説 幽玄なる雨の森

2003年 10月

出羽三山を見に行こう…そんな単純な動機で購入したばかりのBMW F650GSダカールにキャンプ道具を積載して千葉市を出発した。今になって振り返ると私にとって旅らしい旅と呼べる記念すべきファーストアドベンチャーだ。

当時はバイク用ETCなど無くライダーはハイウェイカードを購入し料金所で通行券と一緒におじさんに渡して払っていたものだ。山形自動車道の山形蔵王IC料金所。

「今日は寒いし夜は天気が崩れるから気を付けてね」

暖かい言葉をもらう。

ぱっとしない天気だけど仕事が忙しい合間にせっかく捻出した連休。買ったばかりのBMWに真新しいキャンプ道具。どうしても出かけたかったのだ。それに何よりストレスが溜まってもう限界だ。毎週のように大阪や名古屋に出張。得意先で説明会、支店で会議、帰りの新幹線で同僚と愚痴話。翌日は会社で報告書つくってまた会議。会議、会議…出張、そしてクレーム。もう1人にしてくれ。誰とも口を利かず誰の顔も見ずに2、3日過ごしたい。そんな気分だった。

当時は今ほど天気予報を正確に把握できなかった。出かける直前にチェックした「曇りのち雨」という大雑把な情報だけでバイク旅に出るとは現代の感覚ではいささか抵抗があるものだ。

月山湖の景色を楽しみ湯殿山神社を参拝。当時は旅慣れていなかったので退屈な3ケタ国道を走りつなぐだけのツーリングだった。それでも自分の住む千葉にはない山深い景色に心を躍らせていた。

「そろそろ食材とビールの買い出しをしないと…」国道とはいえ山の中をひたすら走る道。どこに集落があるのか、どこが観光地なのかも知らないで走っているのでスーパーやコンビニを見つけることが出来ない。今でこそコンビニはどんな僻地にも存在するけど当時はスキー場が近くにない限り、山間部には滅多にコンビニはない。

ようやく見つけた商店に入るとビールは売っていたもののキャンプで食べれそうな物は魚肉ソーセージ、貝の缶詰、カップラーメンは2種類しか置いていないときた。しかしこの先に店があるとは限らないので、それらを買ってF650GSダカールのリアに積載した。

朝日スーパー林道。その名前の響きに惹かれてこの旅のハイライトに選んでいた全長52㎞の大規模林道。三面川から猿田川に沿って走るブナの原生林。F650GSダカールを購入する以前はジェベル250、セロー225、スーパーシェルパなどで関東圏の林道をよく走っていたので、オフロード走行は今よりずっと長けていたと思う。この日に選んだ朝日スーパー林道も景色よりもオフロードをたっぷり走りたいという欲望の方が強かった。F650GSダカールも朝日スーパー林道のためにタイヤをミシュランT63に交換しておいたくらいだ。

朝日スーパーライン県境展望台で小休止したころで小雨がパラついてきた。予報よりも少し早く雨が降り始めるのか…と思ったが山の天気は変わりやすいものだ。臆せず新潟県村上市方面を目指した。

「この林道を制覇すれば麓にあるキャンプ場にチェックインできる。そこでゆっくりビールを飲もう」

路面状況は前半は安定の砂利ダートであったが後半は水たまりも多く、加えて雨脚も本降りとなった。県境の展望台から5㎞ほど走った地点で工事中の箇所が出てきた。重機が何台も入って大規模に工事している様子だ。ガードマンに通行止めだと告げられて一瞬焦ったが、もう1人のガードマンに「バイクなら何とか通れるので良いですよ」と言われヌタヌタの泥の中を慎重に通過させてもらった。なぜこのような水を含んだ泥が多いのか…きっと近くでブナを伐採しているのが原因だろう。

「あと1時間もするとバイクも通れないほど削りますが戻っては来ないですよね?」そう言われて戻る予定などなかったので快諾して通った。後にこのことが後悔を招くとは全く予知しなかった。




その後、雨の降りしきる林道を淡々と走りつないだ。暫くすると予想よりもダートが荒れてくるのに違和感を覚える。道はやがて狭くなり生い茂る草木も深みを増す一方だ。

「これはミスルートか?」

四方が山で目印になるものが何もない。完全に現在地をロストしている。コンパスに目をやると南西に移動するはずが北東に進んいるようだ。どこかの分岐を間違えたか?分岐などあった記憶がないけど水たまりだらけの路面に目線を集中させていたので見落としたかも・・・。どう考えてもスーパー林道とは呼び難いフキが一面に生い茂った獣道のような雰囲気になってしまった。

今ではGPSがあるのでダムや川の位置表示で容易に現在位置を確認できるけど、当時は紙の地図とコンパスしか持ち歩いていなかった。進むか?戻るか?決断を迫られたが北上しているこの道は明らかにナシだろう…。そう思って引き返した。雨脚はさらに強まり周辺が黒っぽい景色に変貌した。

30~40分ほどダートを走ると何と先ほどの工事現場に戻ってしまった。街中と違って景色が変わらないので先ほど自分が走ってきた道なのかどうか、180度向きが変わってしまうことで分からなくなるのだ。

「しまった…」

絶望的だったのは工事の人は全て撤収していて道はバリゲートで完全封鎖されて通れない状況だった。再び先ほどの道を戻ってミスルートしないように走るしかない。1時間半くらい頑張って走ればキャンプ場に着くはずだ。しかし時間をだいぶロスってしまった。もう日没が近いが本当に大丈夫だろうか…

ブナの原生林の中を暫く走ると、雨は小降りになってきたがヘッドライトが照らす部分が認識できるほど周囲は暗くなってしまった。ほどなく峠を下ったと思われる場所で何かの管理棟らしき建物があった。林野庁か土木関連の施設だろうか。その駐車場で野宿してしまおうか迷ったが白いバンが一台停まっていて何だかマズそうだったのでもう少し下ってみることにした。

峠を下っていくにつれて砂利ダートはどんどんフラットになっていき走りやすくなったが時計に目をやると19時近くになってしまった。

「もう時間切れだな」

ちょうど工事車両か何かの転回スペースだろうか?広くなっている場所を見つけたので止む得ずここでテントを張って明日の朝までやり過ごすことにした。設営の頃はちょうど雨も止んで気分は悪くなかった。

消耗した体は水分を欲していたようで缶ビールは一気に開けてしまった。僅かな食料はまだ20代だった自分の胃袋を満たすには少なかったが「すぐ寝ちゃおう」と思っていたので良しとした。




20時過ぎには寝落ちしたと思う…そして深夜にゴォォォォーーーーという強烈な音で目が覚めた。テントをたたく大粒の雨の音だった。時計は23時を差している。

雨はやがてバケツをひっくり返したように激しくなり、そして小降りになりを何度も繰り返した。テントの四隅から水が浸入してきたので、雑巾で拭き取って前室で絞ってを繰り返した。しかしその作業も追いつかなくなり寝袋や着替えなど濡らして困る物はマットの上に避難させ、自分は横にもなれなくなったので座ってじっと雨の轟音を聞くだけの時間になった。

起きていると足りなかった夕食のせいで激しい空腹感に襲われる。ビールももう無い。あの時、工事現場で引き返して月山の近くのキャンプ場へ行けばよかった…と深く後悔した。深夜、山奥で独りぼっちで大雨をテントで凌ぐ虚しさ。普段、単独行動派を誇りに思う自分も、この時ばかりは誰か話し相手が欲しいと寂しく感じた。

「あのー、大丈夫ですか?」

外から突然に声がしたので激しく焦った。野宿していて怖いのは動物や幽霊よりも人だ。しかし冷静さを取り戻すとどうやら恐れる者ではないらしい。テントのファスナーを開けて外の様子を見ると作業服を着た高年の男性が心配そうにこちらを見ていた。

その背後には夕方に見た管理棟のような場所に停めてあった白いバンがあった。雨の音が激しすぎて車が来た音は聞こえなかったようだ。どうもこの場所で野宿している自分に何か緊急性を感じたのか、心配して声をかけてくださったようだ。人の優しさがやたらしみる。

「ありがとうございます。大丈夫ですから…夜が明けたらすぐ出ますので」

そういって林野庁か土木関係の人らしき方々にお礼を告げた。白いバンの中には5人くらい乗っていたが皆心配そうにこちらを見ていた。時間は深夜0時半だった。

ちょうどその頃、雨はぱったり止んでF650GSダカールとテントのある場所はシーンと無音の空間に変わった。人と話したことでホッとしたのか、その後は朝まで熟睡してしまった。

翌朝、昨夜の大雨が嘘のように晴れた。もし今なら日向にテントを干して乾燥させてから撤収だが、当時はキャンプのノウハウも浅かったのでグショ濡れのテントを無理やり収納してズッシリ重いバッグをF650GSダカールに積載して出発した。

濡れた森が朝日に輝いて息をのむほど美しい。その空間をバイクで駆け抜ける爽快感は昨夜の憂鬱を忘れさせてくれた。スタンディングポジションでF650GSダカールのステップに立ち、全身にフィトンチッドを浴びてアクセルを開けた。茶色い水たまりも粘土のような泥も、不思議と気持ちよく通過できた。

間もなく麓の集落か、という地点でアンテナ設備のような所が見えてきた。そこで昨夜の白いバンと作業員のような人が2人見えた。バイクの音でこちらに気が付いたようで笑いながら手を振ってくれた。




あとがき

今回はノンフィクションで書いてみました。独りぼっちになりたくて旅に出たが、結局最後は人の優しさに救われたという旅のエピソードです。しかしこの経験が朝日スーパー林道だったか他の林道だったのか?の記憶が曖昧で場所だけが微妙です。とりあえずたぶん朝日スーパー林道という事で…。この時、食料が足りなくて深夜に虚しい思いをした経験から、以降の私の旅では食料を多めに買いすぎてしまう傾向になりました。それは現在でも変わらず、結局食べきれなくて家に持ち帰ることになります。

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ヘリノックス ビーチチェアのフレームが折れた悪夢

中央自動車道だろうか。

これといってビール工場や競馬場の風景が見えた訳ではないけど、中央自動車道は何となく雰囲気が独特だ。私は深夜の高速道路を淡々とR1200GSを走らせている。前にも後ろにも車はいない。そしてひどく寒い。

ふとミラーに目をやると懐かしいイエローバルブの1灯がかなりの速度で追い上げてくる。それは私のR1200GSの近くまで来ると減速して真横に並んだ。NSR250R-SPだ。しかし全体が昔のローリング族のような改造で原型をとどめていない。

乗っているライダーは革ツナギだがクシタニをコピったプリカーナ製で昔、上野のバイク街で売っていたヤツだ。…まてよ?この格好はどこかで見た覚えが。

そうだ、高校時代の同級生のSだ。もう20年以上は会っていない。いったいどうしてここに?しかし根拠はないが横に並んだNSR250R-SPが間違いなくSである確信はあった。

Sは私の方をじっとみたままAraiアストロのシールドをパカっと開いた。その瞬間、凍り付いた。顔が無い。いやヘルメット内がからっぽなのだ。

数秒の空白のあと、からっぽのヘルメットの中は突如「ボワン」と目が光り私はさらに恐怖に怯えた。その光る目はアメーバーのような形だった。

「あの時、俺はブレーキが効かなかったんだぞ!!」

からっぽのヘルメットからではなく耳元でささやかれた感じで背筋がゾワっとした。

あの時ってあのブレーキレバーが折れて赤信号の交差点に突っ込んだあの時??

※参考文献 こちら




「そんな今さら恨まれてもあの時は結果、事故にはならなかったし。そもそもあの時にオマエ何とも思ってなかったじゃねぇか。」

そう言い放ちたかったが声がまったく出ず、急に息が苦しくなったかと思うとアメーバーの目がフッと消えた。

嫌な予感がして進行方向に目をやると中央自動車道のはずなのに、とつぜん赤信号の交差点が現れた。行き交うトラックやタンクローリー、明らかに止まれない危機的な状況に再び凍り付いた。

次の瞬間、巨大な穴のようなものに私とR1200GSは真っ逆さまに落下した。その感じは昔、羽田発小松行の飛行機でエアポケットに落ちた時と同じだった。

何かに着地する前に左ももに激痛が走った。何かが突き刺さったようだ。見ると銀色のブレーキレバーが私の左ももに突き刺さっているではないか。

「ぎゃあぁぁぁぁ~」

「あれ…」

夢か。やっぱり夢か。

しかし左ももが痛いのは夢ではない。まさかブレーキレバーが…

いや・・・違いました。キャンプ場で昼寝をしていた間にヘリノックス ビーチチェアのフレームが折れてしまったようです。

脚の部分ではなく左もものフレームがベースとの付け根でボッキリと折れました。これは金属疲労ですね…。ヘリノックス ビーチチェアの耐荷重は145kgとされています。体重はある方ですがさすがに145kgに対してはかなりの余裕のはずですが。本物のヘリノックスなら折れないと安心して使っていたのが原因でしょうか…。




パチノックスと違って諦めて買い替える訳にもいかないのでヘリノックス ビーチチェアのフレームが折れた場合の修理手段を探してみました。

ヘリノックスの日本での正規代理店は主にA&Fです。私のビーチチェアーはパームリーブスという柄でこちらのモデルに限ってはモンベルが代理店。しかしA&Fもモンベルも家の近所にはありません。A&Fを扱っているSPORTゼビオが近所のショッピングモールにあったので電話で問い合わせてみましたが、はっきりしない返答だったので却下。

しかし職場の近くであればA&F本店という手があったので、ここに持ち込むことにしました。

東新宿なんて普段はまったく足を運ばない所ですが、大都会の真ん中にひっそりとした不思議な空間が存在していました。喧騒の無い新宿という感じです。そこにアウトドアギアのワンダーショップ・・・いや深い沼が存在していました。

店内に入りフレームの折れてしまった愛用のヘリノックス ビーチチェアをスタッフの方に渡すと快く修理を受けてくださり、お店に在庫してあった予備フレームで10分もかからず修理完了でした。

気になる修理費用ですがフレーム1本の交換で900円。今回は左側が折れましたが金属疲労であることを考えると、同条件で使われている右側も同様に折れる日が近いと判断して左右で交換してもらいました。計1800円です。

まだ折れていなかった右側はスペアとして持ち歩くことにします。出先で折れたら自分で交換できますからね。

それにしても流石にあのA&Fの本店です。

魅惑のアウトドアギアがずらり。

ミステリーランチやYETIなどのアイテムも豊富です。

う~ん、たかがバケツですがカッコいい。

独身時代に来ていたら散財間違いなし。




A&F店内でこんな素敵なものを発見しました。YETIのパンガサブマーシブルという防水ダッフルバッグです。一目みてカッコいい、これは信頼できるギアだ!と確信しました。キャンプツーリングでリアシート上に積載する防水バッグとして最高に良さそうです。

しかし…ベルトの金具は専用の金物だしHydrolokの防水ファスナー、分厚いTPUに底の部分はEVA成型で皿状になっている…嫌な予感はしましたが75Lサイズで本体価格54000円!!

…ふう、ここは危険な沼だ。

無事に自分のヘリノックス ビーチチェアが直ったので、それだけ手にして大人しく帰りました。

ちなみに私がキャンプツーリングで古くから愛用しているダンロップテントのフレームはDAC-7001Sというジュラルミンポール。このポールのDACとは実はヘリノックスなんです。ヘリノックスは古くから多くのテントメーカーに高精度なジュラルミンポールを提供していたのですね。現在でもMSRやNEMOなどの高級テントはDACのジュラポールだと思います。しかし、あの安価なダンロップRシリーズのフレームがヘリノックス製とは意外ですね。

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ヘリノックス ビーチチェアのフレームが折れた場合の修理のお話でした!!!

平成のバイクコラム 平成5年 ブレーキの無いNSR

平成5年冬

久しぶりにSと再開した。SはバイクをRG250ガンマから89’NSR250R-SPに乗り換えていた。しかし個人売買で15万円で入手した中古車は一目みてボロイ。今でこそ希少価値の高い2STレプリカだが、この頃はオメガの耐久カウルだのエビ反りテールだのと下品な改造が施され、その後に納屋に放置されていたようなボロがたくさんあった。

しかもSのNSRを良く見ると、リアのブレーキマスターシリンダーにブレーキホースが無い。理由は忘れたがフロントブレーキだけで走っているのだと。

ファミレスでも行こう、という話になり2台で田舎特有の広い直線道路をとばしていた。先導は私のNC30。そして交差点で赤信号になったので停止したところ、Sは私の真横にジャックナイフさせて威勢良く停止し、その後に右側にパタリと倒れ込んだ。

まるで昭和コントのようなモーションで倒れた。後で判明したのだが、カッコよくジャックナイフさせたまでは良かったが、停止時に地面へと出した右足が何かにひっかかって足を出せなかったそうだ。恐らくホースの無いリアマスターのニップルにGパンの裾がひっかかったのだと。

そんな事情も知らず、また面白いパフォーマンスが始まったな!と思い私は自分のバイクに乗ったままショーを静観していた。やがてジタバタとした動きはやめて道路に大の字になって寝そべると大声で私に「早く助けろバカ!」と叫んだ。足が車体に挟まっていたらしい。

バイクを引き起こして目が点になっている後ろのクレスタのオジサンに手を挙げて、再び青信号で走り始めた。問題はここから先だ。




私は自分のバイクを2速3速4速と確実にレッドゾーン直前でシフトアップさせ加速させた。ミラーに目をやるとSのNSRもピタリと付いてきている。さすがNSR、ボロでも速いな!と思ったが、よく見ると何やら様子が変だ。

Sは私の横に並ぶとAraiアストロのシールドを開けて有り得ない程のデカい声で「ブレーキがきかねぇんだ!!!!」と叫んだ。

それは知ってるよ。リアブレーキだろ。何いってんだ?

私はまだ前方がクリアーな直線道路に対し、アクセルを開けたいという欲望を思いのままに発散させた。80年代後半から急ピッチに進化したオートバイの性能は、今から30年前と侮ることはできない。こと加速力に関しては現代のバイクと大差はない性能。スピードメーターの針は既に国産のオートバイでは数字の書いていない場所を指示していた。

するとSのNSR250R-SPは再び私の真横まで並んできた、そして今度は尻のポケットから銀色に輝く何かを差し出して見せた。その時、ヘルメット内に見えたSの目は漫画で描くアメーバーのような形をした目だった。それはまるで受け入れがたい悲劇に歪んだ表情だった。

一体、何を手に持って私に見せたのだろう?どうせまた何かのジョークだろう。そう思って無視することにしたが、銀色に輝くあの美しい物体が何なのかは気になる。アフリカかどこかの少数部族が神にささげる儀式か何かに使う飾りのように見えた。

気になるので加速をやめて再びNSR250R-SPの横に並んでみた。再び先ほどの物を見せろという意図のアイコンタクトを送るとSは再び尻のポケットから物体を差し出した。

・・・

・・・

レバーだ。

・・・




…美しく銀色に輝く謎の物体はアフリカ部族のオブジェなどではなくレバーだった。当時、ホンダ純正で多くの車種に付いていた銀色のレバー。しかし、一体レバーを持って何がどうした?というのだろう。レバーといえばクラッチか…ブレーキ。クラッチレバーか?いや、それなら先ほどの転倒から発進できないだろうに…。

・・・

・・・

そうか…そうゆうコトか。

・・・

Sは先ほどの転倒でフロントブレーキのレバーが根本から折れてしまったのだ。すなわちフロントもリアもブレーキが無い状態で、既に法外なスピードが出ている危機的な状況である。

当然、Sはジャックナイフで倒れた交差点で、レバーが折れたことに気が付いている。でなければ折れたレバーを尻のポケットに入れない。つまりカタツムリ程度の知能しか持っていないため、前後のブレーキ機能を失ったNSRでフル加速で私を追いかけてきたのである。

無情な結末は当たり前のようにやってきた。先の交差点に目をやると、ちょうど黄色から赤に変わったところだったのである。交差する一方の道は千葉県有数の交通量を誇る産業道路だ。しかもその50mほど先にはもう1つ大きな交差点があって、そちらは当時は高速道路の終点だったこともあり、行き交う車は感覚が麻痺していて高速道路なみにスピードを出している。

「あぁ、今日でヤツも終わりだ」楽しかった高校生活の思い出が走馬灯のように脳裏に流れた。修学旅行でオマエがナンパした他校の女…ブスだったなぁ、オマエのせいでお正月を警察署でむかえたこともあったな、パトカーに放火して新聞に出てたなオマエ。唯一、悲しいなと思ったのはSのお母さんには日頃から「馬鹿な息子のことを頼みますよ」とお願いされていたので、お葬式にどの顔を下げて謝ろうか・・・ということだった。

私は既に自分自身も危険なほど停止線までの距離に対してスピードが出過ぎていたので、Sの事を考えるのをやめてNC30をフルブレーキングさせた。フォークのストロークが底付きする感触を覚え停止線の1m先で停止した。当時、最強のグリップを誇ったYOKOHAMAのゲッターが良い仕事をした。

SのNSR250R-SPは無駄な抵抗ではあるがシフトダウンでエンジンが焼けるほどエンブレを効かせて、両足で地面をズルズルひきずり矢のような速さで産業道路の赤信号の交差点に突進していった。今になってそのシーンを回想するとバックトゥザフューチャーのデロリアンがタイムスリップする時のように地面の軌跡に炎が上がっているようなイメージだ。

・・・

一瞬、私の見ていた世界は無音になり周囲の景色が白黒になった気がした。交差する道路から行き交うトラックやタンクローリー。NSRは手前の車線を走る清掃車の直後を抜け、次の車線は白いホンダクイントのリアバンパー数センチギリギリで通過した。思わず私はヘルメット内で「うおおっ」と声を出した。Sはわずかなスペースを奇跡的なタイミングで切り抜けて産業道路を見事に横断したのだ。

しかし次に待ち構えるのはインター出口のバイパスだ。そちらは圧倒的に交通量が多く行き交う車のスピードも高い。どうする?どうなる?

すると私の視界は産業道路からの40フィートコンテナ車で遮られ、先の様子が何も見えなくなった。それはまるで幕内で起きた惨劇を客席の皆さまにはとてもお見せできませんと、突如として緞帳が下りたようだった。

・・・




コンテナ車が去った次の瞬間、視界に現れた世界は極めて日常風景だった。ただバイバスの先にあるラーメンショップの砂利の駐車場にSは普通にNSR250R-SPを停め振り返ってこちらを見ている。

青信号になってSの元へ行くと私に向かってこのように言った。

「ドラスタにレバー買いにいくべ」

と。そしてギアを1速に入れて再びSは走り始めた。

カストロールのイチゴのような香りの排ガスをまき散らして。

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~あとがき~

ほぼノンフィクションです。盛った部分は交差点はバイパスではなく普通の幹線道路だったこと、実際は走りながらレバーは見せなかったことくらいです。しかし、後にドラスタの店内でSはおもむろに尻のポケットから折れたレバーを出して「え~と…」とNSRに合うレバーを探し始めたので、思わず「お前、折れたの気が付いてたのかよ!」と大声で突っ込んでしまいました。

今になって考えるとその先どうなるかを想像できない何かの発達障害か、またはこの出来事の数年前にSは彼女の前の男と大乱闘の喧嘩をしていて、相手が事もあろうにマイナスドライバーをSの頭に突き刺してしまった事件がありました。その時に脳に何かダメージがあった影響なのかもしれません。あの時はドライバーが頭に刺さったまま相手をブチのめしてしまい、救急車を待つ間に彼女のシルビアのタイヤ交換を、これまた頭にドライバーが突き刺さった状態でしていたのが忘れられません。脳ってデリケートなようで結構テキトーなんだな…とその時は思いました。

もう四半世紀前の思い出話ですが。

低画質☆駄目カメラ☆から学ぶ写真の楽しさ AGFA トイデジ

究極のツーリング写真 touring-photography.com 読者の皆さま、10年くらい前にすごく流行ったトイカメラをご存じでしょうか?ヴィレッジバンガードなどの雑貨屋さんにも売り場があったくらい、HORGAを筆頭にトイカメラが一大ブームでした。

トイカメラはお世辞にも画質が良いとは言えず、むしろひどい画質なのですが光学系の弱点からくるボヤけた画像やゴーストなどが味として受け入れられていたのです。しかし多くのトイカメラはブローニーフィルムを使用していたせいか、ブームはあっと言う間に終止符を打ってしまったと感じます。

あと5年くらい遅ければ、現代の若者に流行しているアナログブームに乗れたのに…少し残念ですね。いま若者の間では写ルンですなどのフィルムカメラが人気らしいですね。素晴らしいことです。

さてそんな10年前のトイカメラブームの中、ひっそりとトイデジも存在していました。トイデジはトイカメラのデジタル版です。あまり話題になりませんでしたけどね。

つい先日、自分が憧れを抱くような写真作品と「高画質であること」がどういった関係があるのか?この疑問を知るために画質の悪い低性能なカメラは無いのかな?と考えて見つけたカメラがこれです。

10年前のAGFA Sensor-505Dというカメラです。メルカリで2500円で購入できました。AGFAは日本で言えばフジフィルムのような有名なフィルムメーカーなのですが、フジフィルムと同様にカメラも製品化しています。

そんな有名企業のAGFAが作ったカメラなので、立派なカメラなのか?と思いきや完全にオモチャと割り切ったデジカメなのです。むかし35mmフィルムカメラでAGFA OPTIMAという名機があったのですが、そのような血筋を引き継いでいる点は赤いシャッターボタンくらいでしょうか。

はっきり言ってヒドいです… 一応は日本語表示はしますが行書体のフォントは如何わしいチャイナブランド品を連想してしまいます。しかもこの「Sモロ杯ワ白」とは一体なにを書きたかったのでしょうね。




使った感じは筐体のチープさやボタン類のクリック感からしても明らかに安っぽいです。このカメラを選んだ理由は単四乾電池とSDカードであることの2点ですが、乾電池も新品状態でないと調子よく動いてくれません。電池残量が半分くらいになるとフリーズしたり液晶のバックライトが消えてしまったりします。

こんなクオリティで10年前の当時は2万円の定価だったのが信じられませんね。10年前でも絶対に許されないと思うのですが…

 

撮ってみるとハッキリ言って楽しいです。センサーのコマ数が少ないのか動く被写体は歪んで写ります。トラックのコンテナがアニメの描写のように歪んでいるのがお分かり頂けるでしょうか?

よくこういった適当に撮って事故的に写った写真をオシャレっぽく発表しているの見かけますよね。私の個人的な感想としては、こういった写真はただの「現実逃避」なのかもしれません。いいカメラを使ってもいい写真は撮れない、そんな悲しい現実からの【現実逃避写真】。もちろん写真は現実を写すためだけのモノではありません。考えようによってはこれも表現だと思います。しかし写真家としての能力という現実からは逃れることはできません。

意図的にカメラを動かしてグンニャリさせてみました。変な写真。面白いですけど。




 

光のある場所を狙って撮ってみました。悪くはありませんね。しかしうまく説明のつかない写真です。特に右半分くらいに存在している画質の悪い部分に注目です。このようにダメになってしまう部分にある種の演出を感じるのでしょうか?

 

カメラを動かさないようにちゃんと撮るとこんな感じです。露出補正機能も備わってはいるのですが使い方が非常に面倒で微調整もできないので使いませんでした。露出オーバーですが少し柔らかい印象の写真になりましたね。

 

結論を言ってしまえば「おもちゃで遊ぶ楽しさ」「プレッシャーからの解放」この2つでしょうか。プレッシャーとは良いカメラを持っているんだから良い写真を撮らねばというプレッシャーです。このダメカメラならプレッシャーは感じないはずです。

写真とは現実の光景に対して写せる領域と写せない領域というのがあって、その限られた範囲をうまく使って表現するのが写真の良さなのかもしれません。そういった意味でこの範囲が特に狭いAGFA Sensor-505Dのようなカメラを使って写真の本当の良さを見出すことができれば、何か新しいことに気付けるアラートが聞ける気がします。

ともあれこのオモチャ AGFA Sensor-505Dでしばらく遊んでみたいと思います。楽しいので皆さまもお一つ如何ですか?




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~本日の毎日100ショットスナップ~

 AGFA Sensor-505D  東京都江東区 THE SOHO