日本人の信仰心を今、取り戻そう




EOS5D Mark4
私たち日本人は信仰心をいま見直す時期ではないでしょうか?
神社、お寺の参拝をただの習わし、または観光気分で行っていないでしょうか?
そもそも全くそのような場所に行かない、食事の前に「いただきます」も言わない、神社とお寺の違いがよく分からない…といった方も多いのでは。
もちろん観光気分で参拝するのは悪いことではありません。
ただ時代が風の時代に変わったいま、日本人の信仰心をもう一度本来のものに取り戻したいと思うのです。
神社は神様が降臨する場所であり、その社の主祭神が祀られ祭祀が行われる場所、または自分という御霊のルーツです。
一方でお寺は仏様の世界でお釈迦様を模範とし成仏(悟りを開く)するための学びの場です。
多くの場合でお墓があり住職さんがそこに住んでいます。



神社は神道(しんとう)。天の神様(高天原)、地上の神様(葦原の中つ国)、八百万(やおよろず)の神様に守られ、宇宙のエネルギーと容易にコンタクトできる数々の神社があります。その数はコンビニより多いそうです。
お寺は仏教。生きる苦しみを和らげる悟りへと導く、お釈迦様の教えも学べる。この両者は互いが良好に親和して古くから日本人の信仰となっていました。二つの信仰が対立もせず調和している妙。
正に神々の美しき国【日出る国】
世界中探しても日本を置いて他にない。
私は日本人として生まれてきたことを心から嬉しく思い、なぜ自分が日本人なのか?という思いを巡らせています。
戦後、得体のしれない何かに奪われた、日本人の信仰心をいま取り戻そう。
まずは参拝のマナーを知り、日本書紀などの神話を読み返し、食事の際は米粒ひとつひとつに心から感謝して「いただきます」を言い、家にはお札を祀って朝晩祈ろう。
手と手を合わせて「祓え給え 清め給え」とお祈りをするだけで清らかな気分になれます。
(写真のバイクを停めている場所は神社の駐車場です)



なぜ【いい写真】が撮れないのか




EOS1Dx + SIGMA35mmF1.4ART

「いい写真」を撮ってみたい。

それはカメラを手にする全ての人が憧れる共通の願い。

しかし多くの人はその願いに届かず

ネットで情報を集めたり

最新のカメラや高級なレンズを買ってみたりする。

だが、溢れる情報に翻弄されるばかりで

年単位でみても成長のない自身の写真に

やがて飽きがきてしまう。

「この場所で撮った桜の写真、去年撮ったのと同じだな…」

かつて私はそんな日々を送っていました。




CASIO エクシリム EX-10

私たち日本人が子供の頃に受けた教育とは基本的に暗記教育であり

「ここからここまでテストに出るから覚えておくように」

「100点がとれれば優秀、点数が低ければ落ちこぼれだ」

と言われ、その通りにしたものでした。

 

今になって記憶を掘り起こすと【自分のアタマで何かを考える】という機会が

少なすぎたのではないか?と感じます。

強いて自分のアタマで考えたクリエイティブなことといえば

夏休みの自由研究だったような気さえします。

RICHO GR APS-C

やがて社会人になり先輩方から「自分のアタマで考えろ」と言われ

その通りにすると「勝手なことをするな!」と怒られる。

出る杭は打たれるので皆に合わせるのが無難となり

入社2年目を迎えるころには日本人的ノーマルサラリーマンの完成。

 

そしてそれがフツー、フツーは正しい、正しいは幸せへの道筋だ…

という作られた社会的通念を妄信し、それに裏切られた瞬間に途方に暮れる。

気が付くと何もできない自分。

隣人もそのまた隣人も同じ。

 

ただのフツーの人では価値がなく、正しさを求めて生きた結果は

ちっとも幸せではなかった。その事実に気が付いた頃には

いい年齢。




EOS6D Mark2 + SIGMA50mmF1.4ART

「皆と同じにしなければダメだ」という風潮に

私たち日本人は何の違和感も感じずに【地の時代】を通過したと感じます。

2020年の12月に地の時代が終わり風の時代に突入・・・

風の時代・・・

それは魂の夜明け

精神の幸福(地の時代は物質的な幸福)

個人の活躍に価値が生まれる

そんな時代になったのだから

地の時代の社会通念に今でも縛られていては生き辛いだけです。

 

もちろん「皆と同じに」「出る杭は打たれる」「正しさを求める」も素晴らしいことですが…時代が変わったことで、そういった考えは主体的ではなく副次的になったのだと考えます。

好きではじめた写真。あるいはバイクツーリングも。

同様に皆と同じに、正しさを求めるでは風の時代にふさわしいと言えません。

 

本当に自分が望む「いい写真」を実現する唯一のことは自分の写真を撮ることです。

他の誰かが撮った写真をお手本にすることではないのです。

EOS6D mark2

自分の写真とは何か…

自分は何に出会ったか、自分はどう感じたのか、自分はどう表現するのか、自分の考えやテーマはどうなのか?といった人柄の出ている個性作品ではないかと思います。

そこに他者の介入や目立つ写真を撮って認めてもらいたい…などという邪な欲はなく、ただ純粋に撮りたいという衝動に駆られ、被写体と向き合ってセッションした結果が写真となっていれば、それだけで素敵な一枚となるはずです。

写真は「今」目の前にある三次元の空間を、「一瞬」で二次元の画にする瞬間アートです。そこには光の粒子達が波のように存在し、シャッターを切った瞬間に粒になり過去になるのです。

写真は現実にレンズを向けて光学的な技術で静止画にするもの。絵画などの他のARTと違いあくまで現実が元です。

だからどのような写真もある意味で「記念写真」です。

記念写真ということは「いつか見るため」のものであり、時間軸としては過去を振り返るもの。少々ややこしいですが未来に懐かしいとなるであろう尊い記憶を「今」作るのです。

【自分のアタマで考えて】

それさえ出来れば誰だって風の時代の写真家です。

shigeyoshi tatezawa

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あの日あの時、写真を撮ったからこそ…




写真とは不思議なもので撮ることで撮った人の記憶にもその風景が焼かれるものです。

メディアやフィルムに記録されるのと同じように、心の中にその時の風景が確かに焼かれていつまでも忘れることがないものです。

そういった意味でもバイクツーリングと写真は本当に親和性の高い両者だと感じます。

あの日、あの時、写真を撮ったからこそ記憶に焼かれたツーリングシーン




いつか人生を振り返る時がきたとき、かつての旅の風景を忘れてしまっては寂しいですものね。

自身で撮った写真を残すことで大切な思い出を心の中にも保存する。簡単に言ってしまえば記念写真なのですけど、こんな当たり前のことを改めて考えて「写真ってやっぱり素晴らしいものだな」と感じます。

何しろ現実が元になっていますからね。自分が生きた証でもあるのです。絵画やイラストなど多くの芸術作品はモチーフがあるとは言え物理的には現実をそのまま形にする訳ではありません。写真はその瞬間のその様子を記録するものであり、その刹那に存在する作者の見た「美」を表現する芸術であること。

バイク旅での出会いや絶景は素晴らしいものだから、それを芸術的な一枚の写真作品にする・・・それが私の目指したい究極のツーリング写真です。




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撮影スポットは直感を信じて自分で探す




風の時代にふさわしい人は下調べが少なめ。

他人がどうしているかを気にしない時代になったので

あれこれ細かくは調べない。




どこが話題の撮影スポットなのか?他の人はどんな風に撮っているのか?

絶景のツーリングルートはどこにあるのか?映え写真を撮って目立ちたい・・・

こういったのも決して悪くありませんが、風の時代の人…つまり人柄が重視される時代として考えると古い。

探検するようにバイクを走らせ、心の針がふれた瞬間をたよりに

自分だけの絶景を探してみましょう。

もっとも大切なのは勘(感)です。感動、予感、直感、感性、感覚、感受性・・・自分の勘と感だけをたよりに探検の旅に出るのです。

何でもない山の中や海岸線に、ちょっとしたタイミングによる光や、撮影者の気持ち次第で奇跡の絶景が出現するものです。

むずかしいことではありません。

むしろ楽しいです。

情報に頼る時代から一個人の人柄の時代に変わるのですから、写真を撮る人も変わるべきなのかもしれません。




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究極のツーリング写真は新たなブログに変わります




読者の皆さま、いつも究極のツーリング写真を見ていただき有難うございます。

当ブログはバイク写真、ツーリング写真に関わる専用サイトとして2017年に開設し、現在5年目で1000を超える記事を書いてきました。ここまでこれたのも見ていただける皆さまのお陰でございます。本当に感謝しております。

究極のツーリング写真ではバイク写真、ツーリング写真の撮り方のノウハウ、カメラやレンズの話題、撮影スポットなど主に「お役立ち情報」を書いてきましたが、ここにきて方針を変えてみようと思います。

ブログとして重要な要素とは読者の皆さまの役に立つ情報を書くこと…というのは知っているのですが、いつまでも写真に関わる撮り方とか、撮影スポットとか「情報」だけを提供しているのは何か違うな…と違和感を感じ始めました。

私自身、書くことによって成長を続けた結果、インプットとアウトプットのバランスも崩れ始めたというのもあります。例えば撮影スポットというのは誰かが見つけた場所を追っても意味がなく、本当の撮影スポットは自分の心で決めるものです。撮り方も同じです。様々な手法が既存の撮影方法として存在しますが自分なりの撮り方を自分の手で探求してこそ本当の表現です。そういったことを私自身が知っていながら、ブログでやれ露出やら構図やらを解説するのは矛盾してしまい、当初のノウハウのアウトプットとは違ってきてしまったのです。

EOS6D Mark2 SIGMA150-600mmF5.6-6.3DG




そこで、究極のツーリング写真は情報提供の場ではなく純粋に立澤重良というバイク乗りの写真家の作品発表の場としたいと思います。

いままで立澤重良の写真ヒトリ言というカテゴリを作ってたまに書いてきましたが、それと同じような内容がメインとなる予定です。ツーリング写真に関わること、旅への想い、少々飛躍しますが激変していく世の中における個人の生き様なども。

そんなブログ誰も見ない…というのは分かっています。お役立ち情報だけを求めている人は見ていただかなくて結構です。撮り方とか撮影スポットは私以外の人も書いています。私は私にしかできないことを私なりの表現で発信したいと思うのです。

それを求めている人に届けること。どんなことをどんな表現でどんな人に届けたいのか?は今の段階ではボンヤリとしているのですが、激変する世の流れの中で悩んでいる人や苦しんでいる人に届けたい…この思いが日に日に強まっているのです。

人々が忘れかけた旅精神、日々を美しく生き抜くこと、現実を記録する瞬間芸術である写真、風の時代の生き方…そんなことを書いていきたいと思います。

ちょっと自分には関係ないな…と感じた方はブックマークから削除してください。これからは旅、写真、内燃機関末期のオートバイ文化の記録、個人の生き様について綴っていく一人の作家の発信の場と変貌します。

それでも究極のツーリング写真を見たい、という方はぜひよろしくお願い致します。

令和四年二月  オートバイ写真家 立澤重良




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バイクツーリングと写真について再考してみる




今回はバイクツーリングと写真の関係について少し再考してみたいと思います。

と言いますのも先日、バイク芸人としても有名なチュートリアル福田さんが「ツーリングの楽しみの一つとして写真を撮ることがあります」と言っておられました。

これには当然ですが私の琴線に触れ「おっ、やっぱりそう思いますよね」と膝を叩いた次第です。多くのライダーはツーリングに行けば風景や愛車などを写真にするものです。

楽しいツーリングに美しい自然風景、その中に佇むカッコいい愛車とくれば、その瞬間を写真にしたいと誰しも思うものです。バイクはカッコいい、ツーリングは楽しい、こんな当たり前のことをかけがえのない瞬間として写真は記録してくれるのです。ですからあらためてバイクツーリングと写真は親和性の高い趣味だと感じます。




EOS6D Mark2 + SIGMA150-600mmF5-6.3C

で、あれば当然ですがありきたりの記念写真ではなく「いい写真」を撮りたいと願うものですよね。使うカメラが一眼レフであれスマホであれ、自分で「おぉ、よく撮れた写真だな」と感じれば満足感は高いですし、人に見せたりSNSで発表して好評をもらえれば嬉しいものです。

そこで「ツーリングでもっといい写真を撮るぞ」という気持ちになれば回数を重ねるごとに写真も進化をしていく訳です。SNSで繋がっているお友達が素敵なツーリング写真を発表していれば、互いに刺激しあってツーリング写真の文化が盛り上がっていく・・・。

少し前にコロナ渦を受けて変貌する新たな世界、それは風の時代と言われニュージェネレーションによるバイク文化が形成されつつある過渡期に突入と書きましたが、新たなバイク文化にツーリング写真の未来を期待したいと思います。




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光と空気しかない場所で撮るツーリング写真

 




EOS6D Mark2

絶景地でもない、美しい桜や紅葉があるわけでもない、何の変哲のない場所にあっと心に刺さる風景がある。

そこに何があったのか?と聞かれればただ美しい光と、それを受けた空間があるだけ。

静かに時間だけが流れていて、冷たい大地が太陽に温められている。

撮りたい。

そう感じた創作欲に従順になり、カメラを取り出して無心にレンズを向けてみる。

水たまりを見つけてそこにバイクを停めてみる。

絞り込んでハイライトを放射状にしてみる。

…この辺でやめておこう。あまり手の込んだことをすると

最初のイメージが崩れてしまう。

最近になってそんなことを覚えた。




風の時代のツーリング写真




EOS6D Mark2 + TAMRON SP24-70mmDi VC USD G2

究極のツーリング写真読者の皆さま、新年明けましておめでとうございます。

皆さまにとってご多幸な年であることを心よりお祈り申し上げます。

バイク旅の魅力を写真作品で表現する【ツーリング写真】。そのツーリング写真を専門として運営している当ブログはお陰様で五年目を迎えます。これからもツーリング写真文化の成長と、バイク文化の変革と発展に微力ながら貢献したいと思います。

令和四年 最初の投稿は年末に尊敬する友人と南房総を走った時に撮らせていただいた一枚です。いつも高年式なBMWという優等生ながらどこか色気のないバイクに乗っている私。W650のように艶っぽいバイクに男らしい男が乗っていれば問答無用に被写体をお願いするのであります。カッコいいですね。




さて新年の抱負ですが少し前にコロナ後の世界は風の時代…という事を書きました。昨今のバイクブームを受け「風の時代ってバイクの時代?」とも受け取れるのですが、個人的な予想として向こう数年で40~50代男性が中心だったバイク文化はニュージェネレーションへの世代交代を迎え激変すると考えております。

そこで新たなバイク文化の幕開けに【ツーリング写真】という一つのムーブメントで牽引役のようなことを担えればな…という夢を抱いております。今年はそのための準備を色々とやってみたいです。

今までただ写真を撮るだけで、このブログの運営以外は何もやってきませんでしたが、今年からはストアカでの写真講師、可能であれば個展開催、ツーリング写真の楽しいイベントなども考えております。楽しさを追求して積極的に活動したいと思っています。

もちろん究極のツーリング写真も今まで以上に内容を良くしていこうと思っています。ツーリングに行っていい写真が撮りたいけどコツが分からない…という方はぜひ読んでくださいね。

それでは 素晴らしい令和四年をお迎えくださいませ。

令和四年一月 立澤重良




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ツーリング写真 イメージ通りに撮る簡単な方法




写真撮影の知識はあるけど何故か平凡な写真になってしまう…という方は感動の言語化を試してみましょう。

例えば海なら「ここの海いい感じ」で撮り始めるのではなく、何がどういいのかを詩的な言葉で表現するのです。

上の写真の場合「海が陽光を受けて静かにさんざめいていた」と言語化したとします。

次に【そう撮るにはどうすべきか?】を考えます。海面のきらめきが分かりやすく伝わるように画面の中央に配置し、輝き感が際立つよう露出もややアンダーに設定します。

そして【さんざめく】と形容するに相応しいシャッター速度を模索し、【静かに】という雰囲気を持たせるため動感ある要素は画面外に排除しました。

風景や被写体の特徴をよく見てよく感じ取り、感動を言葉にしてみるのです。するとやるべきことに具体性が出てきます。逆に言うと撮影地で「何をして良いのか分からない」というビギナーの方は特徴をとらえておらず、感動もできていない…とも言えるのです。

もし気の利いた言葉が浮かんでこない場合は、その言葉にできないことが何であるかを強く意識してイメージを作ってみましょう。「自分が言葉にしたかったのはこれだ」と納得できる一枚となるように。

ツーリング写真とはバイク旅で出会う風景や被写体を詩的情緒にとらえた風景写真です。そこには何らかの作者の心の動きがあり、それがよく伝わってくるような一枚を目指したいと日頃から考えております。




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一人でバイクに乗っているとき




EOS6D Mark2

禅の世界では妄想は悪しきとされているそうです。

人間の妄想は他者との比較、悪いことの想像であり、それらが不幸を招く根源であると。

確かに一人で何か考え事をしていると、明るいことではなくどちらかと言うとネガなことを妄想しているようにも思えます。心配事や悩みの多くは自身が勝手に妄想して作り上げたもので、実際には起こりもしない「取り越し苦労」であることも多いそうです。

・・・ただバイクに乗っている時は少し違う気がします。

ソロツーリングで誰とも会話せず音楽を聴くわけでもなく、淡々とバイクを走らせているとき。もちろん安全運転に十分な注意をしていますが、それでも単調な道などでは何かの想いにふけっているものです。

そんなとき、めくるめく思考の波はネガな妄想ではなく自分で自分を考える時間だと感じます。それはとても心地よいもの。バイクに乗っている時間こそが自分らしくいられる…と思えるものです。

電車に乗っているとき、銀行や税務署での待ち時間、そんな時に遠い過去の記憶やこれから起こるであろう未来のことを妄想すると、時に心が不安定になるものです。不安に襲われると負のスパイラルが生じ無意識に悪い事ばかりを考え始めます。

しかし同じ思考、妄想でもバイクに乗りながらだと悪い事は考えないし不安にもならない。

私だけかもしれませんが…なんだか不思議ですね。




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