撮る対象は心で見つける




写真を撮りたいと思える景色を見つけられない。撮りたいと思える被写体に出会えない。こんなお悩みをお持ちではありませんか?

私もかつてそうでした。バイクを走らせて遠くまで旅をしてもシャッターを切ることなく帰る日もあったくらいです。

今になって振り返れば「立派な写真を撮ること」で頭の中がいっぱいだったのだと思います。素晴らしい写真を撮ってやるぞ!どこに絶景やフォトジェニックな被写体があるのか?と狩りをするような気持ちで日本中を走り回っていたのです。

私がいま皆様にお勧めしたいのは「立派な写真を撮ってやるぞ」という気持ちは一度忘れて、心に受け皿のようなものを持ち、目の前の風景や被写体を受け入れる余裕をもちましょう…ということです。




RICOH GR APS-C

ふと視線をおくった先にあるもの、ぽつねんと存在する木、何でもない海岸。決してインパクトはないが心に響くもの。自分の【好き】を象徴するようなものを耳を澄ませるようにして探してみましょう。

人はどうでもいいです。

立派な写真でなくてOK

コツは露出を1/3ステップくらい暗めにして、最初に一滴の光を探すのです。

そこに少しの光があって、その光を受けて語りかけてくるようなものにレンズを向けるのです。

何でもないように見える風景、何でもないように感じる瞬間、目では普通の明るさとしか感じない空間に美しい光があります。

知識や経験よりも感覚を頼りにしてみてください。




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記憶の風景を写真にすること




写真とは目の前に確かに存在している現実の様子を元にして作るものです。当たり前ですけどね。今回は改めてこの部分を考えてみましょう。

現実の様子とは時間が絶え間なく流れる三次元の空間・・・つまり時空ですよね。一方、写真とは時間が停止した二次元の画です。しかしその元となるのは光学的に切り取ってフィルムやデジタルデータとして記録した現実であるのです。ここがイラストや空想の絵画と大きく異なる部分です。

写真とは現実の記録であるとともにその様子を画(絵)にする瞬間アートなのです。

「それは当たり前である、写真とはそういうものだ」と多くの人が知っているからこそ、写真というARTには現実を記録するドキュメンタリー的要素が期待されるものです。その証拠にあまりアーティーに表現し過ぎると「こんなものは写真ではない」と物言いする人が現れます。

では写真を愛する一個人として「いい写真」を生み出すにあたり、どこまで現実に忠実であるべきか?という問題が出てきます。いや、正確にはどこまで人間の目でみた現実に寄せるのか?といった方が適切です。

なにしろ人間の目は現実の様子の何もかもを見ているようで見えていませんからね。眼球からの情報は信号として脳に送られ、それによって感情や記憶などが反応をする訳です。だから現実の様子そのものがどうこうではなく人間が目で見た様子を再現すべきか?と考えるのがベターだと思います。




不思議なもので人間の記憶に残されている過去の風景とはボンヤリと曖昧なものです。映画やドラマの回想シーン、つまり過去の記憶を再現するシーンではモノクロやセピア調が使われたり、フォギーフィルターがかかることからも分かりますね。

あの時、こうだった…という人の記憶回路と何らかの関係をもたせる写真や、見たこともない未知の風景を想像させる作品。それらは現実の様子が詳らかではない曖昧な風景【記憶風景】の写真でも良いのだと思います。

であれば、あまり現実の様子をこと細かに高画質に再現しても感情には響かないのでは?と最近になって思うようになりました。ART写真の多くでもボンヤリとした表現の作品は多いと思います。「いいや、質感の伝わる高画質な写真は感動ものだ!」という意見も理解できますが、それは写真機のテクノロジーの進化に感動しているのではないでしょうか。

一方で例えば私の場合は「ツーリングのワンシーンをART写真として切り取る」というテーマで活動していますが、その反面「内燃機時代のオートバイで旅をする文化を記録しておく」というドキュメンタリー要素もあるのです。相反する両者でありどこに線引きするかは大変悩ましいところです。

皆さまもご自身の写真活動においてアーティーであるか、ドキュメンタリーであるかの表現の線引きを再考されてみては如何でしょうか。

何か新たな気付きがあるかもしれませんよ。




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地の時代と風の時代の違い




約20年に一度起こると言われる木星と土星の大接近「グレートコンジャンクション」。様々な節目となるこのタイミングは2020年の12月22日に起きたようです。

今回のグレートコンジャンクションでは200年(250年という説も)に一度起こる【時代の変わり目】だそうで、それ以前までは地の時代、今は風の時代に入ったと言われます。

どんなにスピリチュアルを信じない人でも、このタイミングとは言わずもなが【新型コロナ】の影響で世界が一変したわけで、私のような鈍感な人間でも「時代が変わっていく」というのを感じ取っている訳でございます。

この時代の変わり目をただ何となく過ごすのではなく、新しい時代に見合った自分へ生まれ変わるために古いものは捨て、新しい何かへ変わりたいものであります。

これまでの地の時代とは物質的な豊かさ、固定資産などの所有、安定した生活、貯金、肩書や出世などのステータス、個人の努力、性別や人種・・・といったものでした。私たちの住む日本もこういった風潮が良しとされてきたと確かに感じます。




では新たな時代である風の時代はというと、精神的な豊かさ、所有ではなくシェア、革新的な生き方、投資、仲間や友人との横のつながり、助け合い、性別や人種はボーダーレスへ・・・といったように変化するそうです。

すでに幾つかはそうなっていますよね。様々なシェアリングサービスはよく見かけますし、幸福に対する考え方も「お金持ちなら幸せとは限らない」と誰でも知っているようになりました。

私たちの大好きなバイク文化に当てはめてみるとどうでしょう?

<地の時代のバイク文化>

・高性能なバイク、価値の高いビンテージ、高級な輸入車などを所有するステータス ・お金のかかったカスタム、センスあるカスタムなど車体自体にフォーカスされた楽しみ方 ・グループを作って集まるツーリングやイベント

<風の時代のバイク文化>

・ツーリングやキャンプなどモノではなくコトを主軸とする精神的な世界へ ・ソロツーリング、ソロキャンプなど個人の楽しみへ ・バイク自体は電動化の波を受けてシェアリングへ

・・・といった感じでしょうか。もちろん地の時代にあったカスタムバイクとかグループでのツーリングなどは無くなる訳ではありません。ただ中心的だったものが副次的に変わっていくのだと思います。

特にカーボンフリー社会の変革を受けバイク文化も大きく変わると思います。ガソリンスタンドは消防法により20年に一度は地下タンクの更新が義務付けられているそうですが、今のタイミングでその時期が来てしまった店舗は更新に投資はせずに将来を見据えて店じまいをしてしまうのです。つまり電気自動車が主流になるタイミングよりも早くに、ガソリンスタンドは減ってしまい、原油価格の高騰と相まって我々内燃機を愛するライダーは相当に不便を強いられるのが予想されます。

今みたいに内燃機関のバイクで気軽にツーリングを楽しめる時間は残り僅かかもしれないのです・・・

40~50代の男性が中心だったライダー層も世代交代を目前にしているので、向こう5~10年でバイク文化は激変すると予想できます。




写真文化も似ていると思います。最新のカメラをいつもチェックし、ボーナスが出たら高級なレンズを買うぞ、といったことを繰り返すのは時代遅れになるでしょう。これからはモノではなくコト、つまりカメラではなく写真に関心が高まっていくと予想します。

かつて世界中でシェアを誇った日本のカメラメーカーは弱体化してしまい、残されたブランドは僅かです。革新的な製品はinsta360など海外メーカー製で非常に残念な限りです。

日本のメーカーは「新しいカメラに買い替えればよい写真が撮れる」という幻想を消費者に抱かせていましたが、もっと早い時期にそれをやめて別の手段で写真文化を盛り上げるべきだったと感じます。例えばシャッターボタンに指紋認証をつけてファイルに今でいうブロックチェーンのような複製不可能な著作権を付加し、個人の作品を海外のART作品投資家に販売できるコミュニティーを構築するなど、考えればいろいろなアイデアがあったはずです。

大衆的なカメラユーザーも話題の撮影スポットをチェックしたり、人がどのように撮っているのか?と手法を真似たりするのも止める時期にきたと言えます。

私が撮っているツーリング写真はセルフポートレートで自身の姿を入れていますが、そういった様子を見て自撮りをするなんて恥ずかしいとか、ナルシストみたいだといった感想を抱くのも時代遅れとなります。風の時代は個人一人一人が自信をもって輝く時代です。恥ずかしがり屋さんでは時代の変化に対応できないと感じます。たかが自撮りをするのに周囲の目が気になる…なんてもう止めましょう。自分は風の時代の素敵な人なのだと堂々とするべきです。

皆さんは風の時代を生きる人として

これからをどのように生きますか?

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時代の変わり目とバイク文化の変化




200年に一度の時代の大変化。

グレートコンジャンクションという宇宙の話になりますが、森羅万象や宗教じみたことに懐疑的な人であってもコロナ渦を受けて時代の変わり目にあることは感じているはずです。

地の時代が終わり風の時代になった。

ある人の話ではコロナで死ななかった人は全て風の時代の人なのだそうです。風の時代…人柄や精神的なものに価値が生まれる時代と言われます。

所有からシェアへ、お金から情報へ、物質から体験へ、貯蓄から投資へ、性別や人種はボーダーレスへ、成功や昇進は心の喜びへ…こういった具合に地の時代は終わり風の時代に変化するのだそうです。




立派な学校へ行き立派な会社へ就職し、会社の為に身を粉にして働き昇進を目指す。これも素晴らしいですが地の時代の象徴です。出る杭は打たれるとか「普通が一番」「他の皆と同じに」といった考え方も地の時代です。風の時代は個人一人が素敵に輝き、そこに価値を出す時代。

時代の変わり目を受けて【幸福】とは何だろう?と見直す時期なのかもしれません。

私がバイクの免許を取得した30年ほど前は、みなで峠やサーキットを走り、バイクにお金をかけてカスタムしたり、立派な輸入車や大型バイクを友達同士で自慢し合ったりするのがバイク文化の中心でした。

もちろん、これらのバイクの楽しみ方は今後も無くなる訳ではありませんが、風の時代では中心的ではなく副次的なものに変化していくと予想します。時代はモノからコトへ。つまりバイクからライダーに文化の中心が変化するのだと思います。

ツーリングは以前より人気のバイクの楽しみ方ですが、これからはライダー層の世代交代を受けて、より新しいツーリング文化が台頭し「バイクでどう楽しむか」という精神的なものが中心になっていく・・・

そんな素敵な時代がすぐそこなのですね。

EOS6D Mark2 + EF70-200mmF2.8L

写真文化もバイクと同じだと思います。最新のカメラ、高級なレンズ、こういったカメラという本来はただの道具であるはずの物に、過度に関心が高まっていましたが、今では多くの人が良い写真を撮ることとカメラの性能は関係ないと知っています。

話題の撮影スポットを調べて出向いたり、他の人がどう撮っているのか?気になったり、撮り方のお手本を探して正解探しをしている人達も少しずつ減ってくると思います。情報が溢れかえっていた平成という時代のせいで、まずは情報収集してしまう癖を抜き、自身で考えることを少しづつ取り戻していきましょう。

いい写真を撮るにはどうしたら良いか?いい写真であるかどうかは自分で決めるものです。ですからその答えはいつでも自分の中にあります。

好みの異性のタイプをネットで調べたり他人に聞いたりしないですよね?

自分の好きなようにするため、どうするべきか考えるのです。自分が見えてくれば「いい写真」とは何かも少しづつ見えてきますよ。




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究極のツーリング写真は新たなブログに変わります




読者の皆さま、いつも究極のツーリング写真を見ていただき有難うございます。

当ブログはバイク写真、ツーリング写真に関わる専用サイトとして2017年に開設し、現在5年目で1000を超える記事を書いてきました。ここまでこれたのも見ていただける皆さまのお陰でございます。本当に感謝しております。

究極のツーリング写真ではバイク写真、ツーリング写真の撮り方のノウハウ、カメラやレンズの話題、撮影スポットなど主に「お役立ち情報」を書いてきましたが、ここにきて方針を変えてみようと思います。

ブログとして重要な要素とは読者の皆さまの役に立つ情報を書くこと…というのは知っているのですが、いつまでも写真に関わる撮り方とか、撮影スポットとか「情報」だけを提供しているのは何か違うな…と違和感を感じ始めました。

私自身、書くことによって成長を続けた結果、インプットとアウトプットのバランスも崩れ始めたというのもあります。例えば撮影スポットというのは誰かが見つけた場所を追っても意味がなく、本当の撮影スポットは自分の心で決めるものです。撮り方も同じです。様々な手法が既存の撮影方法として存在しますが自分なりの撮り方を自分の手で探求してこそ本当の表現です。そういったことを私自身が知っていながら、ブログでやれ露出やら構図やらを解説するのは矛盾してしまい、当初のノウハウのアウトプットとは違ってきてしまったのです。

EOS6D Mark2 SIGMA150-600mmF5.6-6.3DG




そこで、究極のツーリング写真は情報提供の場ではなく純粋に立澤重良というバイク乗りの写真家の作品発表の場としたいと思います。

いままで立澤重良の写真ヒトリ言というカテゴリを作ってたまに書いてきましたが、それと同じような内容がメインとなる予定です。ツーリング写真に関わること、旅への想い、少々飛躍しますが激変していく世の中における個人の生き様なども。

そんなブログ誰も見ない…というのは分かっています。お役立ち情報だけを求めている人は見ていただかなくて結構です。撮り方とか撮影スポットは私以外の人も書いています。私は私にしかできないことを私なりの表現で発信したいと思うのです。

それを求めている人に届けること。どんなことをどんな表現でどんな人に届けたいのか?は今の段階ではボンヤリとしているのですが、激変する世の流れの中で悩んでいる人や苦しんでいる人に届けたい…この思いが日に日に強まっているのです。

人々が忘れかけた旅精神、日々を美しく生き抜くこと、現実を記録する瞬間芸術である写真、風の時代の生き方…そんなことを書いていきたいと思います。

ちょっと自分には関係ないな…と感じた方はブックマークから削除してください。これからは旅、写真、内燃機関末期のオートバイ文化の記録、個人の生き様について綴っていく一人の作家の発信の場と変貌します。

それでも究極のツーリング写真を見たい、という方はぜひよろしくお願い致します。

令和四年二月  オートバイ写真家 立澤重良




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あなたは龍の存在を信じますか?

今回は写真の話と直接関係ありませんが少し変わったことを書いてみようかと思います。

突然ですが皆さんは龍の存在を信じますか?

いきなりスピリチュアルですが…龍って改めて考えると不思議ですよね。架空の生き物なのに世界中どこへ行ってもドラゴンの伝説はありますし、神社やお寺に行くとお堂などに龍の透かし彫りがあったりします。

龍っていったい何でしょうね。最近、神社や瞑想などスピリチュアルにドハマりしている私ですが、龍神や日本の神話を学ぶたびに写真の世界に通ずるものがあるなと感じております。

龍、龍神は普段は私たちの目には見えませんが、この世界をとりまくエネルギーに何らかの影響を及ぼしている存在のようです。日本書紀や古事記などの神話を読むと日本には高天の原の神様や八百万の神様など様々な神様が存在しますが、とりわけ龍神は特別な存在で美しさを好む神様なのだそうです。

少々話が脱線しますが究極のツーリング写真では以前に黄金比の話をしました。黄金比1:1.168、白銀比1:14142、大和比や青銅比など芸術の世界には神秘的な美しい比率の法則があるものです。黄金比で身近な例を挙げますとアップルコンピューターのリンゴのマークやGoogleのロゴなど、その縦横比は黄金比なのです。ドラえもんの縦横比は1:1.1414の白銀比、ハローキティも白銀比、くまもんは全体が黄金比、顔の部分は白銀比です。

実は龍の存在は黄金比1:1.618と密接な関係があるのだそうです。

ドラえもんなどのキャラクターの縦横比は1:1.1414の白銀比。




アップルのロゴは二進数(1、2、3、5、8、13…)によって作られた黄金比でできている。

二進数で組み合わせた正方形を曲線で繋ぐとこのような螺旋になります。これをフィボナッチスパイラルといいます。




フィボナッチスパイラル、別名黄金螺旋はダビンチのモナリザなど多くの芸術作品にも用いられています。上は有名な浮世絵、葛飾北斎の神奈川沖波浦ですが見事にスパイラル曲線と合致しています。

龍が及ぼすエネルギーがフィボナッチスパイラルの正体???!!!

1:1.618の黄金比であるフィボナッチスパイラル曲線こそが自然界に存在する目に見えないエネルギー、それが龍である!というのです。

「そんなバカな…」と皆さまが疑いたくなる気持ちは分かります。でも私は信じます。たとえば無風の時に焚火をしていると上に上がる煙は一直線ではありませんよね。龍のようなうねりを描いて空間を舞っているようにも見えませんか?そんな場面からも私たちが生きているこの空間には龍がいるのかもしれない…と思えるのです。

フィボナッチスパイラルは自然界のいたるところに存在していて、海岸線などの自然の地形、花や葉っぱ、貝殻、私たちの体内にある細胞やDNAもこの比率を持った螺旋構造が存在しているのです。

つまり龍はこの時空のどこかに存在をしていて自然界のあらゆる部分にそのエネルギーを及ぼしているのです。だから龍は美しいものを特別好む神様なのです。

Lightroom

私たち人間は老若男女問わず、誰でも美醜の判断基準を持ち合わせています。ジャガーEタイプは自動車の歴史の中で最も美しい車と称賛され、GSX1100S刀をカッコ悪いと言うバイク乗りはいません。多くの中高年男性から絶大な支持を受ける深田恭子さんも理屈抜きに素敵ですよね。もちろん好みの違いこそありますがここで言いたいのは美しいもの、醜いものの判断基準は誰でも生まれながらに持っているということです。

それは何故でしょう?私たち人間の存在そのものも自然界の一部であり、その血液、細胞、DNAの中に龍が及ぼした黄金比が存在しているからではないでしょうか。

私の読んだある書籍にはこの世には美しいものとそうでないものの二つしか存在しないとあります。正しい正しくない、善も悪もないのです。これら二極化した考えは人の持つ曖昧な基準によって下されるものであり、見方を変えたりタイミングが変わるだけで両者の関係は容易に逆転したりもします。たしかに嫌なヤツだと思っていた人が実はいい人だったとか、それは間違っている!と思っていたことが実は正しかったなど誰でも経験があると思います。

そう考えると龍の黄金比に合致している美しいものと、黄金比とはほど遠い美しくないもの、この両者こそがこの世に存在する二極化して考えてよい唯一のものと言えそうですね。

RICOH GR APS-C

これはずいぶん以前に北海道の大沼から撮影した北海道駒ヶ岳の様子です。改めてこの写真を見ると前景に使った木の様子が龍の姿に見えなくもないです。木が龍の姿を模して成長したのでしょうか?それとも風に耐えるためや日光を効率よく浴びるためでしょうか…私は空間に存在する龍のエネルギーでこのような形に成長したのでは?と考えたいです。

森羅万象の話になりますが私たち人間が生きているこの世は三次元の空間と一定に流れる時間、つまり時空です。そこに科学者でも存在理由を説明できない数学的曲線エネルギーがあり、そのエネルギーが自然界を形成している。なぜ黄金比は自然界にここまで存在しているのか?を科学で証明できないのであれば「それは龍だ」と言っても異論は唱えることはできません。

写真は瞬間芸術です。三次元の空間と一定に流れる時間が存在する現実の様子を、二次元の静止画にする記録芸術です。そこに龍の存在や天之御中主神(アメノミナカヌシ)による光などが表現できればARTの枠を超えたスピリチュアルな作品も成立する訳です。

EOS6D Mark2 + EF70-200mmF2.8L IS

天之御中主神とは万物生成化育の根元神である造化三神(天之御中主神、高御産巣日、神産巣日)の一柱です。日本の神話で最初の男女と言われる伊邪那岐、伊邪那美より以前の神様。宇宙に漂うように存在する姿のない神様でご神体は北極星(または地球の中心)。いまこの瞬間の神様、この世の中心の神様と言われます。…そう「瞬間」。写真の世界に深く入れば入るほど切り離せないワードが「瞬間」です。

冒頭で神様や龍などスピリチュアルな世界には意外なほど写真に通ずるものがある・・・と書いたのはこの部分にあり、黄金比を好む龍の神様、瞬間を司る天之御中主神などを信じることで、新たなステージが待っているいるようにも感じるのです。




ところで先日、龍に関わる本をキャンプ場で朝から夜中までずっと読んでいました。とっても興味深くて一気読みしたら居てもたってもいられなくなり、翌日は崇敬している館山市の安房神社に参拝へ行きました。ちなみに安房神社は金運の神様として人気の神社ですが、正しくは金運というより産業や事業の神様です。主祭神の天太玉命(アメノフトタマノミコト)は占い、ひらめき、思考などの源になる感覚の神様でもあります。

お参りの帰り、よく行く南房総市の海岸で夕景を拝んでいこうと思い立ち寄りました。そこで不思議な体験をしました。

EOS6D Mark2

海の向こうに浮かぶ伊豆大島の上に火を噴くような龍が現れたのです。龍の形をした雲は数分で別の形になりましたが、わずか数秒、目の部分に太陽が重なり私と視線を合わせて何かを伝えてくれたような気がしました。

この世には私たちの知らない不思議なことがたくさんあるものですね。目に見えるものしか信じないようでは駄目で、それは神道や仏教などの信仰心にも写真にも言える共通のことです。

いよいよ究極のツーリング写真は宗教の世界へと突入しました!!

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究極のツーリング写真4周年&1000投稿目




EOS6D Mark2

今日はちょっといつもと違うことを書いてみようかと思います。

と言いますのも・・・本ブログ【究極のツーリング写真】は開設して4周年、そしてこの投稿が記念すべき1000投稿目となるからでございます。

4年前、究極のツーリング写真は「ツーリングのワンシーンを切り取る」をテーマに活動している私、立澤重良がツーリング写真に関わる様々なことを綴るブログとしてスタートしました。

バイク主体の写真でもない、ツーリングの記念写真でもない、風景の中にとけこむバイク旅のシーンを表現した写真ジャンル、それがツーリング写真。かつて鉄道写真が鉄道という車両にフォーカスされていた時代から、中井精也さんの「ゆる鉄」をきっかけに風景主体の鉄道写真が生まれたように、ツーリング写真はその名の通りバイクツーリングの世界を表現した写真ジャンルを目指しています。

今の段階ではメジャーな写真ジャンルではありませんが、例えば乗り物が完全EV化されて久しいほど遠い未来に、今の時代に撮ったツーリング写真を見れば内燃機関のオートバイで旅をしていた文化の貴重な記録でもあるし、それを芸術的に撮ったものであれば尚のこと価値が高いと想像します。




EOS6D Mark2

みなさんご存じのように新型コロナウイルスの世界的な猛威によって、世の中の様子が一変してしまいました。正に戦前戦後のようにコロナ後の世界とは時代が変わってしまう訳です。

どこかで聞いた話ではコロナ後の世界とは「風の時代」なのだそうです。それが何なのか抽象的すぎてよく分からないのですが、私が気が付いたある一つのことは…

ニュースにもなっていますが昨今は空前のバイクブームですよね。密を回避できる趣味でありコロナ渦のストレスから解放されたいとバイクデビューする人が急増しているのです。返り咲きのリターンライダーから女子ライダー。新たなバイク世代とバイク文化がいま誕生しているのです。

何に気が付いたのかと言うと・・・

風の時代ってバイクの時代ってこと?

と、いうことです。新たなバイク世代が新たなバイク文化を生み出す時代の変わり目が今なのではないでしょうか。新たなバイク文化とは…内燃機関のオートバイに乗って旅ができる残された少しの時間。この貴重な「今」を味わい尽くそう…と「ツーリング」が見直される時なのだと感じます。




EOS6D Mark2

ツーリングの魅力を見直す時代、であれば・・・これからニュージェネレーションに向けてツーリングの魅力を分かりやすく伝える何かが欲しいところ。そうツーリング写真です。

ツーリング写真は「見てツーリングの世界に誘われる」「自分もツーリングに行って撮る楽しみ」と、二度美味しい世界です。こんな素晴らしい楽しみが流行らないワケないよな・・・と私は勝手に思っているのですが、読者の皆さまはどう思われますか?

そんな新しいバイク文化の風に、私は遠慮せずに牽引役を担いたいと思っています。だから【究極のツーリング写真】はこれからもツーリング写真に関わる様々なことを発信していきますので、みなさま応援の方をよろしくお願い致します。

令和三年 十二月五日

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宝島社【趣味を極める!バイクの本】ツーリング雑誌に掲載されました




さて今回は少しだけ宣伝をさせていただきたいと思います。

この度、私立澤重良のツーリング写真作品が雑誌に掲載されることになりましたので告知させていただきます。

宝島社 Mono master特別編集【趣味を極める!バイクの本】

令和3年10月18日発売  690円

この本の中に南房総ツーリング、北海道ツーリングのページにおいて私のツーリング写真の作品が全33作品で紹介されています。

コロナ渦を受けて密を避ける趣味として注目された空前のバイクブーム・・・

中古車屋さんの在庫不足や新車でも人気モデルは品薄状態が続いていますよね。それだけバイクデビューする人が多いということですが、本誌ではそんなビギナーライダーにも優しいツーリングノウハウが書かれています。

広告も少なく充実の内容で690円という低価格です!

ぜひ書店でお手に取ってご覧くださいませ!

Amazon でのご購入は こちら 

 




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先入観を捨てて自由に写真を楽しもう




EOS6D Mark2

私たちは写真を楽しむ上で誰かの決めたルールのようなものに無意識に縛られてはいないでしょうか?

過去の誰かが撮った写真が頭の中に焼き付いていて、無意識に似たような写真を撮ろうとしていないでしょうか?

いまいちど改めて考えてみましょう。

お花はこう撮るべき、風景はこう撮るべき・・・といった雰囲気をまとった写真をみて、それをお手本のようにしていませんか。

個人的に写真を楽しむ上で撮影マナーのようなものはあるかもしれませんが、写真の内容自体にルールのようなものは存在しません。

誰かが決めた…いいえ誰もそのようなことは一言も言ってはいない写真のルールのようなもの。そのようなものに無意識に縛られないよう意識してみましょう。

上の作品はコスモスのお花を撮ったものですが、この場合はLightroomのHSL機能で緑の彩度を抜きました。これはいけないことだと思いますか?誰かにどのようなことを言われようと「私の場合はこうなんです」という確固たる信念のもと表現したのであれば、堂々とそれは貫くべきです。

私の場合はこう、という個人の表現。表現したかったイメージの世界。あるいは事実やリアルよりも抽象的なアートのように撮りたいというスタイルの問題。人ぞれぞれ自由なのです。

自由だから写真って遣り甲斐があるのだと思います。




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瞬間で魅せるか空間で魅せるか




写真をやっていてつくづく不思議だなと思うことがあります。

それは試し撮りで撮った写真や不注意でシャッターを押してしまった時に写る偶発的な写真です。

撮影者の意図とは関係なく写ってしまう景色。それは言ってみれば撮影者でもカメラでもない「写真が写真を撮った」瞬間とでもいいましょうか。意味不明と言われそうですが「これぞ写真だ」と思うような写真…という意味です。

緻密に計算された構図や比率、巧みな露出コントロールやそのほかの表現など撮影者の感性と経験、あるいはセンスや作家性などによって生まれた完璧に作られた写真は紛れもなく「人」の生み出したもの。

まるで本物がそこにあるような高精細な画質、ノイズの無い美しい星空の写真、圧倒的な画角による印象作品などはカメラ、レンズの性能や特徴が生み出したもの。つまりカメラが生み出した写真。

一方で上の作品のようなドキュメンタリータッチなものは一見すると構図や露出などは一切の配慮はなく、撮った意図でさえ荒唐無稽にも見える写真は瞬間を切り取るアートであることを強く感じさせます。

瞬間… この瞬間というワードほど写真にとって重要なものはないのではないでしょうか。かつてアンリカルティエ・ブレッソンが「決定的瞬間」という言葉をはじめて使ったとき、きっと写真とは瞬間であると強く感じたのだと思います。

私たちのいる世界は常に一定の時間が流れている三次元の空間。これを二次元の瞬間にするのが写真であり、その中に何を写し込むのかが「いい写真」が生まれるためのヒントなのではないでしょうか。

つい溢れる情報に惑わされて優れた撮影技法、高性能なカメラ、話題の撮影スポットに関心が行きがちですが、いちど冷静になって再考してみましょう。写真とは「瞬間」で魅せるか「空間」で魅せるか?ということに。

明日から貴方の写真が変わるかもしれません。




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