憧れの【いい写真】への唯一の道

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知人などと写真の話になるとよく次のような言葉を聞きます。

「いやぁ~私はセンスがないもので」

謙遜してこのような発言になると思うのですが

写真をやる上で「センス」とは一体何でしょうか?

EOS6D Mark2 + EF70-200mmF2.8L

みなさんが憧れるいつか自分の手で撮ってみたい【いい写真】とはどのような写真ですか?

私の考えとしては記念写真などの事務的な記録は別として、いい写真とは大きく二つに分けられると思います。

一つ目は作者なりの表現として作品に何らかの演出を加えたもの。二つ目は演出は極力加えずに事実と瞬間に主軸を置いたものです。




前者は表現を用いるので例えば露出で魅せたり、構図やバランスで魅せたりします。後者の場合はドキュメンタリー要素が重要となるのでシャッターチャンスや撮る対象そのものの事実に作品としての価値があります。

どちらの場合も「いい写真」があるわけで、それを決めるのは原則第三者ではなく撮影者の主観で良いと思うのです。

つまり自分で撮った写真を自分で「いい写真だな」と思えることが大切なのですね。そのためにアーティーに表現するか、瞬間をドキュメンタリーに魅せるのかは自由なのです。

EOS6D Mark2 + SIGMA150-600mmF5-6.3C

では冒頭の話に出てきた「センス」とは何でしょうか。例えばアーティーに表現をする場合、露出、絞り、シャッター速度、画角、構図、比率、デザイン、ホワイトバランス・・・まだまだありますが撮影手法を駆使して表現するのは言ってみれば魔法です。

悪い言い方をすれば目の前の事実を歪曲して良く見せる演出なのです。もちろん私はそんな風には思っていません。表現は心象風景といって作者の心の中で見えた「美」の風景を再現するための手段です。

「事実を歪曲」とは適切な言い方ではありませんが、あえて分かりやすいようにそう書いてみました。例えば上の海岸の作品は超望遠レンズを使って海面を引っ張っているので、実際の様子とはかけ離れています。

表現という魔法は誰もが憧れるもので、多くの人は「その撮影テクニックが知りたい」と願うものです。個人的にはテクニックという言葉にあまり良い印象を持てません。テクニック勝負!みたいに他者との比較の世界に陥りやすいイメージです。




個人的な考えですがセンスとは表現という魔法をどう使うか?がセンスだと考えます。あらゆる情報を収集し魔法を覚えるだけ覚え、一枚の写真の中にホイミ、ギラ、ラリホー、レミーラ、ルーラ、トヘロス・・・と詰め込めるだけ詰め込んだら「オイっ!いい加減にしなさいハリーポッター君!」とダンブルドア先生に怒られるでしょう。

例えるならラジオ局のDJやセレクトショップのバイヤーです。たくさん魔法を知っているけど、今はコレを使う!という選択のセンスこそが「いい写真」の表現として効いてくるのです。そうすると作品を見た側も美しさの構造を容易に見透かすことはできず、純粋に感性に響いて「なんか素敵な写真だな」となる訳です。

競うように立派な写真を発表しあったり、コンテストなどで入賞だけを狙うような写真文化は徐々に淘汰されていくのでは?と個人的には感じております。そろそろ魔法自慢大会には見る側もうんざりしてくると思うのです。

魔法を使ったことが相手に伝わらない程度にとどめる…それがセンス

これからの時代、写真に限ったことではありませんが個性的な作品に価値が生まれる時代だと思います。

人の心の中はみな違うように、写真にしたいと感じたイメージの風景はみな違うと思います。イメージに描いた「こう撮りたい」という美しい心象風景を解像度を上げ感覚を研ぎ澄まし、独自の表現にて一枚の作品にするのです。

個性的なものであれば評価は賛否分かれて当然なのですが、否定されることを恐れずに「私の場合はこうです」という堂々とした作品を生み出したいものです。

それには自分軸で生きることが大切で人がどうしているか、人がどのような反応をするかに振り回されない信念が求められると思うのです。

風の時代に相応しい一個人になるために。

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