切り取られた記憶風景

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RICOH GR

ツーリングで写真を撮るのが楽しいのは分かるけど、ちょっとあなたは写真ばかりになり過ぎじゃない?そんな風に思われることが多いようです。

確かに写真ばかりを撮っているかもしれませんが、潮風を感じる海岸線を気持ちよく流したり、新緑の爽やかなワインディングをクルージングしたりとツーリング自体もしっかり楽しんでおります。

今回はツーリングの記憶風景について独り言風につぶやいてみます。

20年、30年と昔にツーリングした記憶の中の風景とは、詳細は忘却の彼方で印象に残った風景だけが断片的に残っているものです。興味深いのは旅のメインとなる絶景地などの記憶は忘れても、何でもない「ふとした瞬間」の景色をよく覚えているものです。なぜあのシーンを覚えているのだろう?と疑問を抱かずにはいられませんね。




たとえば港でたくさんのカモメがキューキューと賑やかに鳴いている様子、フェリーの甲板に出たときの空の広さと排ガスの香り、牧場が点在する北海道の道・・・こういった瞬間をやたら覚えているものです。みなさんもきっと同じような経験があると思います。

これらは音や香りを感じた瞬間にビジュアルが記憶回路の特別枠に書き込まれるのではないでしょうか。それはまるでドラレコが衝撃を感知した瞬間の前後数秒をメモリーするのに似ています。




北海道ツーリングが大好きだ、という方。動物園に行った時に牧場のような匂いを感じた瞬間、北海道の景色が脳裏に浮かんだりしませんか?嗅覚や聴覚など目以外の器官が感じ取ったものと記憶回路は何か関係があるのだと思います。

写真を撮る行為も被写体とセッションしたことで、その場所を旅したときの様子が深く記憶に刻まれます。音や香りと同じように脳内の記憶フォルダの特別枠に保存されるのだと考えます。

【あの日、あの時、写真を撮ったからこそ記憶に焼かれたツーリングシーン】

撮る対象は特別な絶景でなくとも良いです。ふと視線を送った先にある何気ないもの。それが私を呼んだ気がするのです。そういった時は撮りたいという気持ちに従順になりレンズを向けるのみです。

EOS6D Mark2 + SIGMA50mmF1.4ART

それがそこに存在した証、私がそこで目撃した事実、そういった意味ではその一枚の写真は芸術などではなく、ただの記念写真なのかもしれません。そこにあった空間とその時流れていた時間。それを写真という二次元の静止画として切り取ったことに、何か自分がこの世に存在している意味を付加できるような気がします。

その意味とは何か?については私の残りの生涯をかけてじっくり考えていきたいと思います。

バイクでそこへやってきたから出会えた被写体、バイクだからこそ見えた景色、そういった世界が必ずあると信じてツーリング写真の究極を追いかけていきたいです。




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