幽かな老人は【そのオートバイは何CCですか?】と聞いた

 

テントをたたく雨の音で目覚めた。

予報通り朝の7時から千葉県南房総市の天気は雨になった。雨雲レーダーといくら睨めっこしていても好天になるはずもない。このキャンプ場は遅くとも11時には出発しなくてはいけない。寝袋は収納袋に入れ他の荷物も片づけた。あとはR1200GS-ADVENTUREのアルミケースに放り込むだけ、という状態にしテント撤収の【その時】をひたすら待機した。

ザーっという雨の音が少し小さくなりポツポツという細かい音になった。その瞬間を見計らい、今だとばかりにテントを撤収。フライシートもバイクカバーもズブ濡れであるが軽く水気をはたいて手早く畳み込む。雨の撤収は心が折れるが仕方がない。午後から晴れるという予報だけが希望である。

防水シートを地面に広げ2つ折りにする。その間にテントから出した細かい荷物をひとまず置いておく。こうすればケースに収納するまでの間に荷物が濡れることはない。むかしから雨のキャンプはこうして撤収作業をしている。

管理人さんにかるく会釈をしてR1200GS-ADVENTUREに火を入れてキャンプ場を出発した。荷物が濡れているので来た時よりやたら重く感じる。

房総半島の背骨と呼ばれる国道410号を南下し捕鯨の漁村である千倉が近づくと潮の香りが鼻腔をなでる。素朴な海岸集落を走り抜けると国道410号は南国ムードになってゆく。

この頃にはすっかり雨も止んで空の雲間には僅かにスカイブルーが見えてきた。今朝の撤収がやたら疲れたので漁港で休憩をした。昼の漁港は人が少なくトイレも自販機もあるので私にとって定番の休憩ポイントだ。この誰もいない静かさと船体を休める船たちの景色が大好きだ。




せっかくの南房総なので昼食はキンメかイセエビあたりを頂きたいけど、観光客に近づきたくない気分だったので行きつけの定食屋でアジフライと竹岡ラーメンをいただいた。この店、いつからあるか知らないけど幼少の頃に祖父とよく来た想い出がある。店内はコンクリ製の生け簀があって昭和レトロな雰囲気がぷんぷんしている。常連客は主に釣り人やサーファーだ。

年甲斐もない程に腹を満たしきって店のおばちゃんと去年の台風の話などを少し交わして店を出た。天気予報の通り空は清々しく晴れていた。

「そうだ荷物を干そう」

ズブ濡れのキャンプ道具達を太陽光に当てて乾燥させたい。そう思って広い駐車場のある海水浴場を目指した。

広大な駐車場に他の車は1、2台。どれだけ店を広げても誰にも迷惑にはならないだろう。テント本体、フライシート、グランドシート、そしてタープ。地面に広げて風で飛ばないよう四隅にスチールペグを置く。

そしてヘリノックスチェアーを組み立てて缶コーヒーを飲みながら読書としけこもう。気持ちの良い日差しの下で読みかけの森鴎外の続きを読む。暫くすると初老の男性が近くにやってきて私にこう尋ねた。

「このオートバイは何ccですか?」

この質問はライダーであれば誰でも経験することだろう。旅先で見知らぬ人に話かけられた時の定番の質問だ。

「これは1200ccですね」

私の場合はいつも丁寧に応対するよう心がけている。巷では排気量を質問してくる紳士のことを「ナンシーおじさん」などと揶揄する風潮があるようだが、私はライダー達を見守る守護神のような存在だと思っている。

排気量の質問1つに応対した僅かな時間が、走り出した直後に襲う不運な出来事とタイミングをずらしてくれるのだ。もし排気量の質問に答えず無視して走り始めれば、すぐ先の交差点で信号無視の車と接触事故を起こしているかもしれない。ナンシーおじさんはそんな不運からライダー達を守っている生きとし地蔵菩薩なのだ。

森鴎外を30ページほど読み進めた頃、こんどは犬の散歩をしている紳士がやってきたそして彼はこう尋ねた。

「このオートバイは何ccですか?」

…まあ、連チャンも決して珍しいことではない。特にR1200GSは空冷ボクサーエンジンが左右に張り出していて、高齢紳士にとっては懐かしいあの日のバイクに雰囲気が似ているのだ。機械の持つ独特の雰囲気にメグロや丸正ライラックで駆け抜けたあの風景が蘇るのだろう。

案の定、その紳士との会話のやり取りは陸王からメグロに展開され、シャフトドライブの悪癖や米軍から払い下げたバイクの話で盛り上がった。

「ジャマして悪かったね」と紳士は犬を連れて嬉しそうに去って行かれた。その後ろ姿からは正に仏のような神々しいオーラを感じた。

再び小説を30ページほど読み進めたころ、こんどは90代くらいだろうか…近所の人と思われる紳士がやってきた。

「このオートバイは何ccですか???」

・・・・・・・・・




・・・・・・・・・

足元がおぼつかない。地面をちゃんと捉えていない感じだろうか?目も悪く遠くがよく見えない。ひどく疲れてゆっくり歩くことしかできない。

海岸を歩く自分はすっかり老けて遠い記憶の旅路を毎日のように空想している。100年も生きると死などさほど意識しなくなる。しかし体の節々が痛くても毎日、夕方になるとこの海岸の散歩だけはかかさない。

おや、あそこに誰かいる。男が一人、海を見ている。傍らに大きいバイク。近くに行くと中年の男が海を見ている。そしてあのバイクは…BMW R1200GSではないか!!私が50年前に乗っていたかつての愛車と全く同じ、空冷水平対向エンジンを搭載したアドベンチャーバイク、R1200GSに間違いなかった。

私は男の近くに寄り1つの言葉を投げかけた。

「このオートバイは何ccですか???」

自分でも何を言っているのかよく分からなかった。なぜその質問?自分がさんざん乗っていたのだから1200ccであることは知っているのだ。なぜ排気量を聞いた?他にかける言葉はあるだろう?

しかしこのR1200GS、とても50年以上前のオートバイとは思えないほど新車のような輝きだった。燃料はどう調達して走らせているのだろう?2020年に当時の菅総理が温室効果ガスを2050年までにゼロとすると宣言されてから、自動車やオートバイの内燃機関は縮小の一途。2050年を数える前に絶滅して久しい。エンジンオイルはどうしているか?車検はどう通しているのか?聞きたいことは山ほどあったが沈黙している男に再びかけた言葉は…

「何ccじゃね??」

やはり同じことを聞いてしまった。思っている事とは関係なく口から出るのは排気量のことだけ…

男が怪訝そうに私の方を見た瞬間、戦慄が走った。顔が無い…いや黒い。まるで写真にある顔を油性ペンか何かで塗りつぶしたように、黒い何かがグチャグチャと顔を覆っている。目も鼻も口もない。いったいどうしたというのだ?

男は驚く私を尻目に(といっても目はないが)ヘルメットを被りR1200GSのエンジンを始動させた。車体を左右に揺らしてボクサーツインに火が入る様子は懐かしくもあり何だか切ない。

去っていくR1200GSを見送り無視されてしまった虚しさと幻を見たような不思議な感覚に包まれた。一体誰だったのだろう?一体何だったのだろうか?しかしR1200GSは懐かしい私のイカロス。できることならもう一度、R1200GSに乗って旅に出たい…かつての日々のように。




帰宅して縁側で夕陽の光を浴びていた。ひどく胸騒ぎがする。暫くすると集落の知人がやってきて私を呼んだ。

「大変だ、この先の交差点で事故だ。いま救急を呼んでくるから見に行ってくれ」

それは大ごとだ、急いで説明された場所に向かう。なぜだか幼いころに夢で見たような暗い坂道をひたすら登る。登っても登っても進んでいる感じがしない。軟らかい砂の中を歩いているような感じだ。ほどなくすると何かがボンヤリ見えてきた。

前方に人が倒れている。先ほどの男だ!R1200GSは原型をとどめないほど激しく大破している。いったい何が… この時代に交通事故など滅多に起きるものではないのに。事故の原因は地面から突然隆起して出た巨岩だった。なぜ…とつぜん地面から岩が??

倒れている男は苦しそうにうめき声を出している。「いまヘルメットを外してやるよ」男を仰向けの楽な姿勢にしてやり、ヘルメットをそっと外した。その瞬間…あっと私は声を漏らした。

先ほどまで謎の黒い何かで覆われていた顔は穏やかな表情であり、その顔は紛れもなく30代くらいの頃の自分だった。事故のショックか蒼白な顔をしているが…間違いない・・・この顔は自分だ。

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「大丈夫かい、いま救急を呼んでいるからもう少しの辛抱だ」

男の目は閉じたまま静かだったが、やがて血の涙を流し始めた。そして男は「カッ」と目を見開いて私を睨みつけこう言った。

「1200ccだよ、何度も言わせんなジジィ」

うわぁぁ~ 思わず声を出して叫んだ瞬間、地面から出ていた岩が消え大きな穴となり私はその穴に吸い込まれ真っ逆さまに転落した。

・・・・・・・・・・・・

はっと目が覚めた。私はヘリノックスチェアーにもたれかかって、すっかり眠っていたのだ。太陽はしずみ辺りはすっかり魔が時の暗に包まれていた。夕陽をあびて暖かった体が冷えはじめている。

急いで乾いたキャンプ道具を畳み、R1200GS-ADVENTUREのサイドケースに収納した。すっかり油温が冷えてしまったエンジンは少し重ったるく始動した。

ヘルメットを被りギアを1速に入れてから、辺りをもう一度見渡してみた。

「もう排気量を聞いてくるオジサンはいないだろうな…」

ナンシーおじさんの残党がいないかを入念に確認してR1200GS-ADVENTUREを暗闇の中、千葉市まで走らせた。

 

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