夏の北海道ツーリング ~ツーリング旅小説~
「ブローニーフィルムの彼女」
…2009年8月
大学生らしい。
都内の有名大学に通う立派な女子大生だ。
「この先どうしましょうか?」
この日、早朝からキャンプ場を出発した私は金山湖を経由し、日勝峠を超えた後に十勝エリアを目指す予定だった。
しかし金山湖のはるか手前の花人街道で、行く先に見える黒い雲に嫌な予感がしていた。この当時はスマホやら雨雲レーダーやらと便利なものは無かったので、天候の情報元は朝一にチェックした「曇りのち雨」という大雑把なものだった。
やがて前方から冷蔵庫の扉を開けた時のような冷気を感じた。スペースを見つけてすぐにUターンした。冷たい風を感じたらその先は豪雨だと知っているのだ。
道の駅「樹海ロードひだか」に着くころにちょうど雨雲に追いつかれて間一髪だった。屋根のある場所でホットの缶コーヒーを飲みながら「さて、どうしたものか」とこまねいていると、一台のバイクが入ってきた。
「キャー、最悪。死ぬかと思った!」
ヘルメットをしながら独り言がやたらでかい声。私は直感的に「あっ、これはめんどくさいタイプだ」と感じて距離をおいた。
離れた場所の椅子に腰かけてくつろいでいると、先ほどの声のデカいのがわざわざ探したかのように私のところへやってきた。
「すごい雨ですねー、今日ってこんな予報でしたか?」
「北海道の予報はあてにならないよ、ましてはここは日高山脈の近くだしね」
上下ピンクのレインウェアーにバイクはFTR223。少し前に流行ったストリートバイクだ。年のころは10代だろうか。身長は大きいが細身の女の子だった。学級委員長タイプが間違ってバイクの免許をとっちゃったみたいな感じだ。
一目みてユースホステルやライダーハウスにいるような旅慣れた感じの女の子ではないのが分かる。ビギナーオーラをめらめらと醸し「私を助けて」とばかりに周囲のメンズを集める感じだと悟った。
しかし唯一気になったのはリアに積載されている大荷物の中にリモワ製のハードケースがくくり付けられていること。果たしてあのリモワには何が入っているのだろうか?
「この先どうしましょうか?」
「日勝峠を越えて十勝を目指す予定だったけど、今日はもうこの辺で泊まるよ。たぶん雨は夜中まで降り続くしね」
「私は頑張って美深アイランドに行きます」
「なんだって?この大雨の中を美深?旭川の市街地を抜けてさらに北だよ。もう2時半だし。それに美深アイランドって言ったけどキャンプするの?」
「ええ…だめですか?出かける前に調べてきたキャンプ場なので…」
どうやら典型的な北海道ツーリングのビギナーらしい。北海道を島のように考えて距離感が分かっていない。それにこの雨でキャンプなどベテランでも躊躇するのに。
「まさかはじめて?」
「はい、北海道に来るのも、キャンプツーリングも初めてです」
意外と言葉遣いはきちんとしていて、こちらを大きな瞳で見開いてハキハキと話す。とても感じがいいので思わず私も普段と違って気が付くと談話を楽しんでいた。
「宗谷丘陵の白い貝殻の道をみて、知床半島を走ったら最後に鹿追町に行きます」
鹿追町??なぜ鹿追町に?宗谷と知床は定番のツーリングスポットなので分かるが、鹿追町は特段そのようなスポットではない。疑問に思ったがその時は聞かなかった。
FTR223のリアシートは異常なほどの大荷物で後ろ半分のボリューム感が大きく、見た目にアンバランスだった。(センスない積み方だなぁ…)どうしてこんなに大荷物なのか尋ねると大量のお土産と枕を入れたせいだとか…。
「枕って普段、家で使っている枕??」
確か今日の昼の便で苫小牧港に着いたばかりなのに…。旅の初日にお土産を買いこむなんて大丈夫だろうか。枕は自分の枕でないと寝れないタイプなのだと言う。
「あのね、お土産は苫小牧のフェリーターミナルで売っているんだから帰る日でいいの。それくらい分からない?」
「あはは…ごもっとも」
結局、彼女は美深行きを断念し私と同じ、この近くで一泊することにした。
「この近くに鉄道の客車を使ったライダーハウスがあるよ、アテがないなら一緒に行くかい?」
アテなどあるはずもないので二つ返事でお供することになった。雨脚が弱まったタイミングをみて私のR1200GSと彼女のFTR223の2台は道の駅を出発した。
国道沿いのセイコーマートで買い出しをして平取町役場振内支所でライダーハウスの手続きと600円の料金を支払った。
平取町の振内鉄道記念館。その敷地内にある古びたSLと2両の客車。この客車内が座席を撤去してカーペットを敷いたドミトリー形式のライダーハウスになっている。かなり古びた客車だが雨風しのげて低価格、出入りも自由でシャワーまであるのが有難い。
役場の人が「男性用の車両は雨漏りが酷いので本日はみなさん女性用客車の方をご使用ください」とのこと。いまのところ他に宿泊希望者はいないらしい。
雨漏りがひどいのは以前からだけど、役場の人がそう言うくらいなら以前よりもさらに酷くなったのだろうか。
一通りの荷物を客車内に運び終わった頃、外は「ゴォー」という音をたてて再び激しい雨が降り始めた。
「よかったろー、あのまま美深を目指さなくて」
「ほんとです、美深までもっと近いのかと思って甘く見てました」
「さっきの道の駅から200キロくらいあるから4時間以上はかかるよ。それに暗い大雨の中をテント設営なんて無茶だよ」
確かに美深アイランドは森林の雰囲気も良いし隣接している温泉もキレイで良いところではある。しかし目的地を設定してそれに縛られるように行動するのは関心できない。天候不良などで不測の事態が発生したら柔軟に目的地を変更するのがベテランである。
しばらくすると1台また1台とバイクが鉄道記念館にやってきて5人のソロライダーが集まった。
あまりに暇なので装備品のチェックをしてあげることにした。この先、あと1週間も北海道にいるという。老婆心ながら本当に大丈夫だろうかという心配から、ちゃんとした装備を持っているのか気がかりだったからだ。
彼女の持っていたテントは量販店で大量に売られている安物だった。生地の縫製部分を軽く引っ張るとミシン穴から向こう側の光が見えた。
「これは晴れている日はいいけど雨だったら使わない方がいい。寝ている間にテントの中がプールになっちゃうよ」
ガスバーナーもノーブランドの安物で使い方も分かっていなかった。「出かける前に使えるのか確認しろよなー」結局、そのガスバーナーはイグナイターが不良品で後でコンビニで100円ライターを買ってそれで点火させることにした。
「私、カレーも作れないんですけど大丈夫でしょうかね…」
「無理して料理なんてしないでスーパーで売っているウインナー、おでん、ハンバーグとかボイルするだけのヤツでいいんだよ。あとは袋のラーメンかうどん、朝食は朝早くに出発するならキャンプ場じゃなくて途中のコンビニに立ち寄ってそこで済ませればいいよ」
雨がいったん止んだのでFTR223のパッキングもチェックしてみた。重い物は低い位置に、ショックコードは硬い部分に通すといった説明をして最初からパッキングし直した。最初の状態では高速道路の加速時にハンドルが左右にブレて怖かったのだとか。
一応はツーリング用品のメーカーで企画開発をしている自分はある意味で「この道のプロ」である。バッグの固定ベルトやショックコードの使い方が間違っていると、黙って見てはいられないのだ。
FTR223を出来る限り低重心に、マスの中央に重量物がくるようパッキングし直し、これでハンドルのブレも走行中に荷物を落下させるような危険なことも無いだろうと一安心。そして気になっていたリモワのケースに何が入っているのか聞こうとしたとき、凄まじい稲光と雷鳴が響き渡った。
「きゃああああああーーーーー」
急いで客車内に避難し外の様子を見たが、どうやらすぐ近くで雷が落ちたようだ。数分で消防団が急行していく様子が見えた。
他のライダー達が「もう危ないからここでビールでも飲んでようよ」と全員で小さな宴会を始めることにした。
深夜、雨は止んで外の様子が不気味に静かだったので目が覚めてしまった。彼女の方に目をやると大の字になって凄い寝相であった。問題の枕はあさっての場所に投げやられていた。「まったく意味ないな…」とつぶやいて再び眠った。
翌朝、嵐は過ぎ去って振内の空は気持ちよく晴れていた。しかし天気予報をチェックすると道北も道東も雨予報となっていた。私は予定を変更して安定した天気の襟裳岬を目指すことにした。
彼女も美深はあきらめて、とりあえず南下するらしい。朝の6時にはパッキングを終えて互いに目的地は異なるが途中までは一緒に走ることにした。
サラブレット銀座。地図にそう書いてあるエリアにさしかかると、昨晩の雨で湿った大地が朝日で温められて一面が靄になり幻想的なサラブレット牧場の景色が現れた。
私のR1200GSと彼女のFTR223は牧場の敷地の手前で停車し、この素晴らしい絶景を写真におさめることにした。私はキャノンの一眼レフカメラ、彼女はニコンのCoolpixの上位機種だった。
思わず「カメラは高級なのもってんだな」と言いそうになってしまった。
私は彼女に写真の撮り方までレクチャーするほどのお人よしではないので、自分の撮りたい場所へそそくさと動いて無心にシャッターを切った。
彼女はなぜかFTR223の方へ戻り、何やら荷物を出している。どうしたんだろうか?
「いい写真は撮れたかい?」
「今から本番ですよ」
???聞くとCoolpixは露出の確認と試し撮り専用なのだと言う。いったい何を言っているのだろう?そう疑問を抱いたとき彼女は例のリモワ製ハードケースの蓋を開いた。
「ゼンザブロニカのS2!!」
なんとリモワの中には1965年製の6×6版カメラであるゼンザブロニカS2が収まっていたのだ。
「びっくりしましたか?」
彼女は得意そうにニコニコしながらブローニーフィルムの先端をスプールの溝に差し込みキリキリ、キリキリと巻き取った。実に手慣れている様子だ。
フィルムマガジンを本体に装填し巻き上げノブをカカカカ、カカカカ…と回してスタートマークを確認すると「これでよし」と呟いた。
「えっ…ちょっと待って、こんなヴィンテージの中版フィルムで…ええ?…マジで…?」動揺を隠せない私。
「さっきのCoolpixで撮った写真でいいからチョット見せて」と言うとその小さなデジカメの液晶には驚きの作品が写っていた。つい数分前まで先輩写真家気どりだった自分が急に恥ずかしく思えてきた。
「まるで神田日勝の絵画に通ずる生命感だな…」
神田日勝とは北海道を代表する油絵の画家であり、この場所の山の反対である鹿追町には神田日勝記念館がある。何を隠そう前日に私が超えたかった峠道もその名にちなんで「日勝峠」であるのだ。
私の「神田日勝」という言葉を聞いてフォーカシングフードをのぞき込んでいた彼女の表情が一瞬だけ反応した。
「ほんとですか?うれしい」
・・・・・あれから10年以上が過ぎて、FTR223の彼女とは一度も会っていない。なぜなら連絡先も名前すらも聞かなかったのだ。せめてあの時のゼンザブロニカS2で撮った作品を見て見たかったものだ…と後悔の念が残る。
そんな旅の思い出。
~過去のツーリング小説~
~あとがき~
今回は今までのツーリング小説と違って6割がノンフィク、4割がフィクションで作ってみました。実際は大学生は女の子ではなく2人の男の子。そしてゼンザブロニカのカメラとサラブレット銀座のシーンもフィクションです。振内の鉄道記念館、日勝峠、サラブレット銀座、神田日勝の縁である鹿追町など、個人的に思い入れの深い北海道の地を舞台に書いた稚拙なツーリング小説でした。