究極のツーリング写真 touring-photography.com 読者の皆さま、今回は<上級>ツーリング写真の解説として写真家脳の作り方を解説してみようかと思います。
以前に良い写真作品を生み出せるようになるには1.写真家の目 2.写真家の足 3.写真家の脳 を手に入れよう~…というお話をしました。今回は3の写真家の脳として少し面白い話をしてみたいと思います。
こんな経験はおありではありませんか?
ツーリングで撮ってきた写真を帰って見直しているとき。「雨でぬれた電線に夕陽が当たって綺麗な導線ができたな」「空一面に広がるウロコ雲の中に渦をまくような図形が存在している」「シャッターを切った瞬間、偶然に通りかかった軽トラックが入ったが良い演出になった」などなど。
これらは撮影時にはまったく気が付いていない、意識していないコトでしたが帰宅して写真を見返すことにより気が付きました。そして「きっと自分はコレが気に入ったからこう撮ったのかも」と作品の意図や理由をチャッカリ後付けすること。ありますよね??
私なんかしょっちゅうです。これって何故なんでしょう?なぜ撮影するときに気が付くことができなかったのに、それをあたかも狙ったように上手に切り抜いたのでしょうか?偶然でしょうか?
…いいえ違います。それはあなたの直感が優れているからです。
直感で撮った写真は無意識なので「あの時にそのように撮った」という記憶は当然ありません。直感の反意語で直観(発音が同じで紛らわしい)というのがありますが、これは構図だの露出だの被写体や景色の様子を観ながら熟考の末に出す決断なので当然ですが意識下にあります。
直観(思考とひらめき)は脳の大脳皮質の活動であり思考、推理、運動の指令など意識下にあるものです。対して直感の方は大脳基底核の活動で突然の危険を回避する動きなどを司り、無意識に行うものです。スポーツ選手がファインプレーをする瞬間やバイクを運転していて間一髪で危険を回避した時などがコレに当たります。
この写真はもう究極のツーリング写真では何度もアップしている作例ですが、このような写真は構図、フレーミング、デザイン要素、比率などの撮り方を撮影者の知識の知りえる限りに発揮し、撮影現場で練りに練って組み立てた写真です。私はこの時、何枚かの試し撮りした写真をみて「何かもの足りないな」と悩み考えました。その考えた結果、東京湾を往来しているLNGタンカーのユニークな形状が目に入り「そうだコレだ!」とひらめいたのです。つまり直感ではなく直観(思考とひらめき)で撮った写真です。
対してこの写真は直感で撮った写真と言えます。緻密に組み立てた構図や計算された比率、巧みな誘導線なども存在しない自然な撮り方と言えるかもしれません。実際、この写真を撮ったとき私は何も考えず情景にレンズを向けて普通にシャッターを切りました。唯一、何かをしたかと言えば防波堤ブロックの上に乗ってハイアングルで撮ったくらいです。それ以外はなにもしていません。
しかしとても不思議なことに、だいぶ以前に撮った写真であるにも関わらず今でもこの1枚は私のお気に入りです。構図やらデザインやらを全く意識せず直感で撮ったこの写真の何がそんなに良いのでしょうか?
皆さまはブーバ・キキ効果をご存じでしょか?以下の2つの図形をみて、一方はブーバでもう一方はキキです。どちらの図形がブーバ、キキであるか言い当てることはできますか?
左側の鋭角な図形がキキで右側のアメーバーのような図形がブーバだ、とお答えになった方が多いと思います。これを最初に研究した心理学者のヴォルフガング・ケーラーによると98%の人が同じように答えるそうです。これは年齢、性別、母国語に関係なく同じなのだそうです。
鋭角な方がキキでアメーバーみたいな方がブーバであることを、論理的に説明することはできないですよね。これは人間が直感に従って出した答えであり思考した結果ではないと言えます。
直感と直観の話は将棋の世界ではよく出てくるそうでして、かの羽生名人は直感の9割は正しいと言っています。またイスラエルの大学の研究チームによると人は直感で判断を下すとき論理的な思考プロセスを無視する傾向にある、そして直感によって下した判断はやはり9割は正しいという研究成果を出しているそうです。
人を好きになるのに1秒かからないという一目惚れもこの直感による決断と言えそうです。
つまり人は本能的に勘が鋭いわけですね。
この写真は三分割構図であり道路の線が奥行を作る導線効果もあります。青い空と牧草地の茶色は色相環で補色関係にありデザイン要素としても悪くありません。しかし私はこの写真のシャッターを切ったとき、こういった事は一切に考えませんでした。情景に感動し大脳皮質の活動が鈍っていたので直感に従順に無心にシャッターを切っただけです。
ではなぜ初心者の方が陥りやすい二分断構図や主題が不明瞭な写真にならなかったのでしょうか?
それは経験と知識が直感を司る大脳基底核に大量にインプットされているからです。自慢することではありませんが、私は十数年の写真キャリアの中で恐らく100万ショット近くの失敗写真を撮りました。その中で自分なりに成功したと言える写真や印象に残った写真や写真に関わる様々なことが大脳基底核に入っているのです。
よく聞く言葉ですが写真とは瞬間です。シャッターを切ったとき目の前の情景や被写体が瞬間として二次元の像になるのが写真です。そしてカメラを操作する行為も構図やら露出やらは瞬間的に選択しているものです。ありとあらゆることが瞬間ずくめである写真は、やはり直観ではなく直感に従うべきだと、私は個人的にそう思います。
究極のツーリング写真やHowto本などで学んだこと、それらはどんどんフィールドで実践して脳内の大脳皮質に記憶するのではなく、大脳基底核にマッスルメモリーしてやりましょう。そうすれば考えなくても瞬間的にあらゆる撮り方を無意識下で実現し、意識は被写体や情景に向き合うことに集中できるのです。
誤解のないよう最後に付け加えておきますが、撮影地で考える必要はないという意味ではありません。あくまで経験豊富な上級者の方に限定して下手に考えるよりは直感的に撮って意識は被写体や情景に感動することに集中してみましょう。というお話でございます。
はじめたばかりの初心者の方が直感だけで撮っても大脳基底核には写真に関わる事が記憶されていないので陳腐な写真を生んでしまうだけです。天才は別ですけどね。

なかなか人は直感に従って物事を決断することができないものです。Aさんは高学歴で一流企業に勤めるエリート、年収も世間の平均よりずっと多い、一方でBさんは名もない小説家であるが気持ちの中ではBさんに強く惹かれる。さあ、どちらの人と結婚しよう?あるいはA社は成長企業の大手で給料や福利も良い会社、一方でB社は横ばいの中小企業で経営は安定しないが仕事内容は学生の頃から憧れだったクリエイティブ系、どちらの会社に就職しようか?
こういった選択は多くの人の人生で何度もあると思いますが、つい人間は安定を好んでしまい無難に見える方(既に他人が実績を残した方)を選択してしまい勝ちです。気持ちの中では選ぶべき道は分かっているんだけど…それを選んで正しいのか確証が持てない。直感に従順になる勇気がもてない…
直感が9割正しい答えに導くと分かっていれば死ぬ間際になって「あの時にBさんと結婚するべきだった」「あの時にB社になぜ就職しなかったのだろう」と後悔することは無いはずです。しかしその時は直感に従う勇気を持てなかったので仕方がありません。
しかし!写真を撮るときくらいは、せめて写真を撮るときくらいは無難や安定を選ばず直感に従順にやってみましょう。大丈夫です、上級者のあなたなら豊富な経験と知識で築かれた優れた直感を持っているのです。かならず傑作に導いてくれるはずです。
初級者、中級者の方はとにかく沢山の写真を撮って経験を積み、それらの技術、知識を脳内の大脳基底核に筋トレするような感覚でブチ込んでください。
思考や意識は被写体に感動すること、新しいユニークを想像する時に使いましょう。あとは無心にシャッターを切るだけですよ!