究極のツーリング写真 touring-photography.com 読者の皆さま、今日は写真でよく言われる「写真とは何をどう撮るかである」について私なりの解釈で書き出してみました。私自身に言い聞かせるための独り言ですが、お暇な方は読んでみてください。
~なにをどう撮るか~
「なに」
被写体を見つける、撮影地を見つける発見力、気付き力のこと。被写体、情景の特長をきっかけに、そこで撮影に挑もうと決める力。

「どう」
言語化力は審美眼に付帯されるプラグインとして機能させる。「湖が綺麗だ」ではなく「風にさんざめく湖面が美しい」といった具合に、審美眼が反応したことに対して、言語がその価値を高めてくれる便利なプラグインだ。
具体的な効果として説明すると言語化前に撮った写真は湖の写真。言語化後に撮った写真はさんざめく湖面が美しい写真という事になる。
女性に「かわいいね」と言えば大抵は喜ばれるはずですが、どうかわいいのか言葉で表現できればさらに喜ばれるはずです。あなたが感じたことを素敵な言葉にできれば相手に喜ばれるのと同じように、写真も「どう」が明確に観賞者に伝われば喜ばれるものです。

「撮る」
言語化によって具体性を打ち出した作品の意図を作業に落とし込むこと。構図は足を使って被写体や背景などの位置関係を、フレーミングは被写体の一部を切り存在感の調整や枠外へ想像を誘う、絞りはボケ具合で印象をコントロール、シャッター速度の調整は写真に時間を与える、露出は明るさの観点で心理的な印象を調整する、デザインはぱっと見た瞬間の観賞者の目を楽しませる。これらは全て観賞者に作品の意図を導くためにしっかり機能させること。

これら3つの・なにを ・どう ・撮る はバランスをもって身につけていきたい。例えば「どう」を蔑ろに「撮る」だけをトレーニングしたところで綺麗な写真しか撮れないのです。
大切なことは「なにを」も「どう撮る」も自分ならではの個性であるか?私が感じたたことはこうです。これが私の表現です。とシンプルにうったえているか?です。
これらに偶然や奇跡あるいは稀な気象現象、想像をこえる美、笑い、驚きがトッピングされれば傑作ですね。
自分自身にこれができる写真家になってほしい、という期待をかける自身へのピグマリオン効果を狙ってみました。
なにをどう撮るか?のツーリング写真的解釈でした。